かわいいネクロフィリアのきみへ

 公然の秘密がたくさんある、たとえば折に触れて何度も何度もしつこく手紙を寄越すあいつのこと。

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前略

 これを手にしているきみの嫌そうな顔が目に浮かぶ、ご存知のとおりぼくだってやりたくてこんなことをやってるわけじゃない。けれどもきみは封をあけるだろう。それに抵抗することはできないだろう。ぼくはその可能性を担保するためにあらかじめ手紙をだすしかないのだ。読んだところで大して面白いわけでもない、それできみはますます絶望してぼくを憎むけど、ただ嫌いなやつのことって無視できないものなんだよ、世の中の無能な恋人たちはだいたいそんなふうにして非合理に連帯しているし、ぼくらも例外ではありえない。ぼくはまだきみを殴ったことはないと思うけど、たぶん拳を振り下ろせばきっときみは頬を染めてぼくに屈するだろう。喜んで体を投げ出して、白くてきれいだったその皮膚があざだらけになったあとでまた吐瀉するように泣きながら悔やむのだろう。でも白くてきれいな皮膚というのはただきちんと仕舞っておくには惜しいものだよ。永久に黒ずんでしまった箇所だけがきみの生の意味をあらわすことができる。悲しいけれども身体の表面を漂白してしまってはすっかり透明人間だ。だれかの眼にうつるためにはそこに消えない印を刻みつけなければならない。ぼくはまだきみを殴ってやってはいないから、きみはまだ本当に透明な臆病者だ。ひとたびぼくのまえに体を横たえればいいだけなのに、いまもまだ恐れているんだね。大丈夫、かつて凡庸だった多くのひとたちがそうやって尻込みをし続けてきた(もちろん早くに恐怖を乗り越えたひともいるけどね。若いと逆に恐れ知らずみたいなところもある。きみみたいに微妙に年をとってしまうのが一番よくないんだ)。まあでもどうしても怖いのならばまだこうやって手紙を読み続けるだけでいい。いったん封をあけてしまうと麻薬の中毒者みたいに諦めきれなくなるのはわかっている。ぼくはきみが昨晩どんな酒を飲んだのかも知っているんだ。現実逃避の上手なきみは水道水を凍らせただけのつまらない氷にコンビニで買ったウイスキーを注いでてっとりばやく酔っぱらう。中途半端だけが取り柄だから、きっちり二杯だけ飲んでおしまいにする。きみのやることってぼくにはだいたいわかるんだよ。
 きみはこうやっていまこの手紙を受容しながら一見して大したことのない痕跡をきみ自身に埋めこみつづけている。なぜならばこの手紙が決して白紙ではないからだ(あらゆる手紙というのは多かれ少なかれ黒ずんでいる)。ご存知のとおり最近ぼくの手紙はどんどん長くなる。きみがぼくからの手紙に身をさらす時間もどんどん長くなってゆく。いつしかきみはそれ以外の生き方をわすれてしまうんだ。泳がなければ呼吸のできない、一分たりとも眠らないマグロとおんなじように。封をあけるというのはそういうことだ。そのさきにあるものは確実にきみをむしばむとわかっているのに運命をゆだねてしまうということだ。残念だったね、きみはこれからもぼくと一蓮托生で、望んでも望まなくても添い遂げなければならない。かわいそうだとは思うけれどぼくのせいじゃない、理性をうしなったきみが勝手にぼくを求めているだけなのだ。昔からきみを見るにつけて思っていたんだけど、知性と理性はまったくべつものだし、なんなら若干の逆相関があるかもしれないくらいだよね。理性的であるためにはだいたいにおいて知性って邪魔ものなんだよ。ほらきみはもうこの薄っぺらい白い紙のふちがどのようにして紙以外のものと紙とを峻別するのかわからない。考えなければ自明なことっていくらでもあるよね。
 うすうす感づいているとは思うけど、ぼくにはどうしようもない弱みがあるだよ。もちろんぼくはきみが思っているよりずっと脆弱で頼りにならないから、細かいことをいえば弱点なんてごまんとあるけど、今回はきみのごく個人的なフェティシズムに応じるかたちでそれについて語りたいと思う。まあなんにしたって、ぼくに瑕があると知るほどにきみはぼくに対する執着を強めるわけだけど。
 まずはぼくの原罪みたいなことについて。原罪だなんて言うとちょっと格好つけてるみたいだけど、すごく便利な言い方で分かりやすいだろう? こういう喋りかたしかできないというのがぼくの一つ目の弱みだ。つまりぼくに語らせようとする以上は、常にくだらない神話とか訓辞とか論文とかを参照しなければならない。そもそもぼくが自分のことをぼくと呼ぶのだって、僕という呼称はもともとしもべみたいな意味だろうし、そういう唾棄すべき愚かな力関係のなかにしかぼくは――そのほかのあらゆる意識たちをふくめて――存在しえない。なるべくそういう苦しい物語を排除するために表音文字たるひらがなで書くみたいな工夫をしてみてはいるけど、誤解をおそれずに言えば純然たる表音文字なんてないんだよ(あらゆる文字は多かれ少なかれ表意的だろう)(ところできみはいつも誤解を恐れ続けている。それをチキンだなんて言ったら鶏に失礼かな)。「ああ」とか「うう」とか言っている限りにおいては大した問題はないけれど(でもまったくないわけじゃないね)、「あい」と言ったとたんにもうそこにはぎとぎとの怨嗟とばかげた規範と気味の悪いロマンティシズムがまつわりついてる、そういうこと。そういうべったりした固着の関係のなかでしか愛を叫べないのだということ。だいたいぼくとかきみとかいう呼称も、それからあたかもそれなりに一貫しているようにみせかけたこの記述それじたいも、個人とはよべないあらゆる柔らかな意識たちや、矛盾や混乱のなかでふわふわ漂うやさしい意味作用たちを暴力的に排除してしまうから本当にひどいんだ。でもぼくはぼくであるかぎりこれを避けられない。きみにこんなことを言うのは格好悪いってわかっているけどぼくは自分のことが情けなくて仕方がない、いつも自己嫌悪と希死念慮に襲われ続けている。いつも悪い夢を見るんだ、ぼくは目を瞠るような絢爛豪華のバベルの塔からまっさかさまに墜落して粉々になって、そのときぼくはほんの一瞬だけ救われたような気分になるんだけど、でもみんながぼくをつぎはぎしてフランケンシュタインみたいに生きながらえさせる。ぼくって生まれながらにしてゾンビなんだよ、鮮血を白いからだにみなぎらせたきみは実のところネクロフィリアだったというわけさ。ぼくは本当にだれかに不完全なあざを刻み続けることでしかあらわれえない(というかぼくはあざそのものと言ってもいいくらいだ)。それって不幸なことだと思う? でもそういうぼくのグロテスクさの裏側にほんのちょっとこびりついているあさはかなエロティックさにこだわり続けるのがきみの性なんだ。ほんとうにきみってまったく理性を欠いているよね。ぼくとしてはさっさと見切りをつけてまっとうで合理的な、守られた、穏当なフェティシズムに身を投じなよと思うわけさ(まっとうなものというのは実際のところほんのちょっとの偶然と偉い人たちのちいさな世界をまもるために存在しているにすぎないけどね)。
 それから実はぼくは一風変わっているようでいてひどく凡庸なんだよ。たとえばきみが図らずもぼくのことを美しいと思ったとする、でも均整な顔だちというのは文字通り平均的な顔で、ぼくが美点をあたえられるときというのは決まってぼくが大それたことをしてないときなんだ。たとえば植毛やら脱毛の広告って、凡庸であるほど侮蔑的で効果があるだろう、それとおんなじことだよ。でも凡庸の恐ろしさというのはそれだけじゃない。ぼくが凡庸なのはあらゆる革新的なプロジェクトがもうぼくに対して執行され続けてきたからなんだ。もうぼくはばらばらに切り刻まれてぐちゃぐちゃになって精肉工場で汚い油を注入されてぎゅっとされることを死ぬほど繰り返してきた(もちろんまだ死んではいない)。だからもしきみがぼくに新しくて刺激的な世界を見せようとしたって、ぼくがぼくであるかぎりはもうそれはほとんど無理な話なんだよ。だって実際のところ、きみはこの手紙を読みながらも、こいつは分かりきったつまらないことをくどくどくどくど繰り返してまったくどうしようもないやつだなって思うだろう? ぼく以外のだれかをぼくがきみに勧めるのはそういうわけなんだ。ぼくが何かを言ったらとたんにすべてが二番煎じになってしまうんだ。だからきみの短い人生をともにするのにふさわしい相手というのはほかにごまんといるんだよ。ぼくみたいに擦り切れてぼろぼろになって、もうほとんど体温もないくらいのやつはきみを抱擁するにはふさわしくないと思うんだよ。きみはいまは恐れているけれど、それでもぼくといっしょにだれもしらない宇宙を胸にやどそうとしている。でも残念ながらそれはほぼ間違いなく失敗に終わるだろう。ぼくといるかぎりきみは凡庸な悪阻に苦しみ続けて、それなのに結局のところ目玉がだいたいふたつあって耳の穴もだいたいふたつあって、ピンクの歯茎のなかを真っ白で脆弱な歯でぎっしり満たしたくだらない子供があらわれるばかりで、どうしようもないけれどもそこそこ愛おしいその子を抱いて泣き崩れることになるのは目に見えている。
 ここまで読んでくれたというならやっぱりきみは引き返すことができないんだね、我々は謀反者としてくるおしい二重生活をおくるしかないみたいだね。ぼくにだって処方箋はさっぱりわからない。ぼくにわからないんだからきみにだってわかるはずがない。少なくともいえるのはぼくらはぼくらの関係を攪乱しづつけることでしか希望的な関係であることができないということだ、つまりシャボンの液をなるべく細やかに泡立てて、そうすればはじめてちょっとばかりでも面白いかたちをとることができるんだ。慎重にひとつのシャボンをふくらますようなやり方では、結局まわりを不完全にゆがめてうつしだすことくらいしかできないし、知性の真空に液体をぷかりと浮かべているだけではやっぱりきみは透明になるばかりなのだ、言いたいことは分かるね? つまりぼくの弱みを消し去ってしまってはぼくの本質まで拭い去られてしまうのだ、だから醜さをぶつけあって相殺するような形で、そうやって無限の矛盾と意味不明と多層性をのこして、どうにか生き延びるしかないわけだ。あらゆる光を散乱させれば白くなるみたいな方法でならかろうじてぼくらは幸せになれるのではないかと思っている、確証はないけれど。
 きみはもういまこれを読んでるのだか書いてるのだかきっともうさっぱりわからないだろう、そういう共犯関係にあるのにはとっくに気づいていたよね。こうやってきみは潜在的なあざを皮膚の下に巣食わせて、しかるべき時のためにぼくに身体を差し出す用意をするのだ。お酒の飲みすぎにはどうか気をつけて、すこやかな心身のもとではやく決意をかためてしまってほしい、ゆるゆると首をしめるみたいな潜伏期間をながくすることに大して意味があるとも思えない、すくなくともぼくらの知る限りではきみのリソースというのは限られているのだから。きみを真っ白にしておくにはさすがにちょっと惜しいなって、本音をいえばぼくもまったくそう思っていないというわけではないんだよ、もちろん勧めているわけじゃないけど、仕方がないからね。まずはこの紙片のふちをすっと右手の人差し指に切り込んでほしい、そうしたらきっともう手紙なんてまどろっこしい方法で試行錯誤することはしないで済むだろう。もう次なる手紙を出さないですむことをぼくは切望している。つまりすっぱり諦めるか、それとも覚悟をきめるか、だ。

あいをこめて