まもなく生まれ落ちる、そして走り去ってゆく

 真白の小鹿。青いつたが、からむ。息をしていない。白い体はかたく、うごかない。つたは勢いよく腕をのばし、小鹿をからみとり、うめつくしていく。白がついえて青になる。影がおち、青が藍になる。森にけむが立ち、くすぶり、湿っぽい。黒い虫が羽音をたてて通りすぎる。虫は小鹿を見ている。複眼にうつる、いくえもの小鹿。黒い羽虫はたくさんいる。無数の複眼。無数の小鹿。遠くからいななきが空をさす。いななきは木霊してふえる。ふえて、けむと混じる。もう小鹿はいない。藍に満ちる森閑。

 竹林の狭間から小鹿が顔を出す。鹿らしい色あい。相変わらず、うごかない。けれども、うごきだしそうだった。空気は濡れている。空気からあぶれた水分がこぼれる。ひたひたと空間に満ちる。片方の瞳だけひらいている。瞳に人間がうつっている。……うきを。……てく、れ。うすく光が差して瞳孔がつづまる。……とに。……し……れ……。小鹿はゆっくりと視界をとざす。人間は消える。影が消えない。竹がにおう。くもりない緑にしずくがつく。

 憤怒の仮面。小鹿が首をかしげると、 からり、落ちる。寒々しい赤。太くゆがむ眉。からっぽの目元。前脚のひづめが仮面を踏む。壊れない。落ち葉のなかにしずむ。苔がゆるやかに這う。羽虫がやってきて、喰らう。朽ちていく。表情が変わる。歓喜。……とう。……りが……う……。死臭がたつ。つたがしたたかに根を下ろす。静かなる追悼。まもなく生まれ落ちる。そして走り去ってゆく。