私は眼球

1.

 睫毛や砂粒に傷付けられて音を上げるような意気地無しのつもりは無いが、流石に瞬間接着剤をぶちまけられたら為す術もない。同朋多しと言えども瞬間接着剤に固められた眼球なぞ私のほかに幾つあろうか。私は激痛に耐えながら、懸命に泪を分泌した。分泌したものの、角膜にへばりついたそれは洗い流されることはなかった。当然、瞬間接着剤は泪で洗われたくらいで流れ落ちるものではないのである。斯くして私の視界は著しく濁った。
 私の宿主は、自力で歩いて洗面台まで行って蛇口を捻ってみせた。だから恐らく私の双子の片割れは無事で、我々の宿主は眼球一つ分の視界は確保しているのである。彼女は洗面台にかがみこんで、何度も私に微温湯を浴びせた。しかし泪で流せぬのだから微温湯だって駄目である。濁った視界の中に、鏡を覗き込んだ彼女の姿がぼんやりと見えた。その後ろを彼女の兄が通りかかって、何か意地悪でも言ったのだろうか。彼女は顔をゆがめて何か言い返した。しかし私は聴覚を有さぬ。しかも視界が濁っているので読唇術も用無しだ。しかしそれにしても激痛であった。取り敢えず早く異物を取り除いて欲しいものである。
 我が宿主は九歳の女児である。彼女の母親は彼女を自動車に乗せて救急外来に連れて行った。幸運にも居合わせた眼科医は、私に麻酔剤とその他いくつかの薬剤を振りかけた。麻酔剤によって私は痛みから解放された。眼科医はピンセットを私の表面に巧みに滑らせ、瞬間接着剤が固まって出来た破片を見事に取り除いた。私は感心して視界が段々に晴れていく様子を感受していた。一連の作業が終わると、視力は完全にとまでは言わずとも生活に支障ない程度にあ回復していた。宿主はカルテを覗き込んだ。「角膜の表層に傷、自然治癒を待つ、清潔を保つこと」と乱雑な字で書かれているのを、宿主と私はまじまじと眺めた。九歳の宿主が角膜だとか治癒だとかいう言葉を解するのか甚だ不明である。
 
 そそっかしい我が宿主も、さりとてそんなに頻繁に私を傷つけたりはしなかった。
 偶に風邪を引かれる際には私は目ヤニに覆われる羽目になった。あれは大層気持ちが悪いものである。しかし幸いなことに彼女は花粉症ではなかった。宿主が花粉症の同朋は毎年地獄の如き苦渋を舐めるのではないかと推察する、我々は味覚を有さないにしても。また、彼女は煙草の煙が嫌いで、初めてカラオケボックスに入った時に煙が目に染みるのかやたらと私を瞼の上から擦ったり揉んだりしていた。私自身は煙の刺激は好きである。私にとって退屈でもなければ不愉快でも痛すぎもしない、実に丁度良い刺激なのである。煙で不随意に滲む泪の感覚もまた心地よい。
 宿主と何でも気が合うわけではないが、しかし彼女が読書を好むことは幸いであった。私は彼女自身より遥かに早く識字の能力を身に付け、彼女が視界に入れた文字という文字を楽しんでいた。音楽が趣味の宿主のもとに生まれついた同朋は気の毒である。聴覚を持たない我々に音楽を理解せよというのは無理難題で、ピアノの上を指が走るのを見ていたって面白くも何もないのではなかろうか。いやそれとも、それは偏狭な理解だろうか。もしかしたら、そういう眼球にとっては、ピアノの上を走る指、その見た目のあれこれが芸術的に感ぜられ、いわゆる第六感の開発に成功しているのかも知れぬ。だがそうだとしても、その感性は私の想像にはどうしたって及ばぬことだ。それにそもそも、多くの楽器演奏者は鍵盤や指盤を見ずに演奏するのではないか。だとすればやっぱり、音楽家の眼球は退屈ではなかろうか。いやいや、むしろ彼らは楽譜そのものから美しさを感受するのやも知れぬ。誰か高名な音楽家が言っていた気がする、音楽の演奏は手段に過ぎず、思想や芸術性は譜面に内在しているのだと。本当だろうか? 私には判らぬ。少なくとも私は譜面自体を美しいと思ったことがない。やはりその感性は私の想像に及ばぬ。
 逆に、絵画や絵画の鑑賞を得手とする宿主の眼球は羨ましいと思う。我が宿主は絵を観ない。描くのも下手だ。文章を読んでくれるのは有難いが、もう少し興味の範疇を広げてほしいと思うのは高慢か。与えられた環境で生きるしかないので、私は文章から情景を想起するよう努めている。これは私の想像力で十分可能なことである。最近彼女が読んだ本の中では『赤毛のアン』の情景描写が特に秀逸で、私は行ったことも見たこともないプリンスエドワード島の静かなる夜明けを、まるで少女アンの眼球にでもなったかのように思い浮かべることができるのであった。こういう本を読み続けてくれる限りは、宿主が視覚芸術に興味がなくてもどうにかやっていけそうな気がする。
 

2.

 宿主が高校生になった時、彼女はカラーコンタクトレンズを付けたがるようになった。おまけに多感な彼女は日記を付け始めた。今まで宿主とはずっと共にあったものの、彼女がここまで赤裸々に己の情感を文字に綴ることはなかったので、大層興味深かった。
 彼女は以下のように綴っている。昔から変わらぬ可愛らしい丸文字である。
「お母さんは本当にうざい。だいたい黒目が小さい私を産んだのはお母さんだ。だからカラコンを買ってくれるべき。そうやって責任を取るべき。お母さんのせいでブスって言われるんだから。お母さんがそこまでケチなら私は同じカラコンを毎日だって付けてやる。そのせいで目の感染症になって失明したらさすがにお母さんも後悔するに決まってる」
 何と我が宿主は、私の風貌が気に入らないらしい。小さい黒目で悪かったですねと私までふてぶてしい気分になる。それで私の見てくれを良くするために彼女はカラーコンタクトレンズが欲しいのだ。恐らくカラーといっても、彼女が欲しがっているのは黒か茶色のそれであろう。何も目玉を青や緑にしたいのではなくて、ナチュラルにそれとなく大きな目にしたいのである。ナチュラルメイクが流行っているのは私も良く知っている。宿主がスマホで見るファッション記事はナチュラルとかゆるふわとかいう言葉で溢れている。私自身はどちらかというとバブル期のようにいっそ清々しいほど鮮やかに飾りたてたメイクアップが好きだが、そんなことは我が宿主の知るところではない。
 それにしても彼女の母親が気の毒である。彼女は瞬間接着剤を目に入れた自分のために懸命に病院を探し搬送した母親の情を忘れたのか。あの時の母親の行動無くしては本当に失明していたかも知れぬのである。なんたる恩知らずか。カラーコンタクトレンズが眼球に悪影響を与える事実はしばしば報道されている。それを母親が買い与えようとせぬのは当然ではないか。こんなことで娘の日記に恨み言を書き散らかされるのでは母親も浮かばれぬ。
 こういうつまらない出来事を目にする都度、私は眼球に生まれ落ちて良かったと心から感謝するのである。私はいくら黒目が小さかろうと誰にもブスなぞと言われないし、結婚だとか子育てのような面倒なことは何もせずとも良い。私は眼球であり、何かを見つめているだけでレゾンデートルが保証される。レゾンデートルは最近我が宿主の読んだ小説に出てきた言葉で、フランス語で存在理由という意味らしい。彼女も無茶なことで親と喧嘩する割には小難しい言葉の出てくる本を読んでいるので見ている分には面白い。
 我が宿主は接吻するときに目を瞑る。これが分かったのは彼女が齢十八にもなってからである。彼女は或る人間の男性に恋をしたらしい。彼女と同じ学校に通う男子学生である。彼女はその男と頻繁に会うようになった。その男は彼女の手を握ったり腰に腕を回したりするようになった。人気のない場所で隣り合って座っては互いに見詰めあったりもする。私は特にその男に興味があるわけではないので目のやり場に困る。
 飽きもせず見詰めあう二人は、たまにそのまま顔を近づけあって接吻する。その時に我が宿主は決まって目を瞑ってしまうので、私は視界を失う。どうして目を瞑るのか私にはてんで分からぬ。そもそも私には唇がないのでどうして接吻したくなるのかも解らぬが、接吻が彼女たちにとって何やら重要な意味や感覚を持つことは既読の文献から承知している。そんなに大切ならば尚のこと目を瞑っては詰まらないではないか。しかし彼女は接吻するとき常に目を瞑っている。
 私にはそれが彼女に特異な性質なのか、それとも人間は一般にそうする傾向があるのか、見当が付かない。もしかしたら人間一般は目を開けて接吻するのが当然で、彼女だけ変則的な振る舞いをしているのかもしれない。いや逆に、人間一般もやはり接吻するときは目を瞑るのが当然で、彼女も当然に振る舞っているに過ぎないのかもしれない。彼女が特異でも普通でもどちらでも構わないから、とにかく目を開けて接吻してくれればいいのにと私は願う。目を開けてくれさえすれば、彼女が変則的に目を開けて接吻しているのか、それとも当然の振る舞いとして目を開けて接吻しているのか、私は比較的容易に判断できるだろうに。不確実性というのは歯を持たぬ者にとっても非常に歯痒い。シュレディンガーの猫箱を外側から眺めているような気分だ。
 悲しいかな、私が今まで目にしてきた文章は、シュレディンガーの猫については教えてくれたけれども、人間が接吻の際に目を瞑るかどうかは教えてくれなかったのである。 もし私以外の眼球にとって、接吻する瞬間に相手の眼球と視線を交わすことが当然で、私だけそれを経験していないとしたら、それは何だか興ざめである。もし我が宿主が接吻の際に左目だけを閉じるのだとしたら――つまり私の側の瞼だけ下げるのだとしたら――それだってあり得ないわけではない。いやいや、我が宿主どころか、人間が一般に接吻の際は左目だけ瞑るのだという可能性も、私には排除できない。ああ好奇心のあまり涙腺が緩んでしまいそうだ!
 さて、十八歳の我が宿主は、最初は当の男と楽しそうにしていたが、そのうち疎んじられるようになって、二人は随分と揉めた。彼女の携帯電話は、「嫌いになったわけじゃない」「受験勉強に集中したい」「別れるのは辛い」といった月並みな文句をその男から受信した。「恋愛は勉強の邪魔にはならない」「一緒に頑張ればいい」「受験が終わったらもう一度」というこれまた月並みな文句を彼女は男へと送信した。どうせ彼奴は我が宿主に飽きただけに違いないのに、彼女はあくまで愚直に反論するから痛ましい。どうしたって人間は好き勝手に他人を好いて、しかもその相手を排他的に我が物にしようと懸命なのだろうと、私は哀れな我が宿主の状況を憐れみながら思案するのだった。
 私だって何かに執着することが無いわけではない。他の眼球の黒目の美しさに息を呑んだり、瞳の帯びる憂愁に架空の心臓がどきりとすることもある。しかし私は他の眼球に語りかけることはできない。どの眼球がどんな思いを馳せているのかも知りようがない。当然、他の眼球と排他的に関係を結ぶこともない。そんなことを望みすらしない。結局、他の人間を排他的に手に入れたいというのは、人間が編み出した偏狭な欲望なのである。人間とその社会が呼応しながらその偏狭な欲望を錬成して、それでもって自分たちを束縛しているのである。人間よ眼球に戻れ、と私は冗談めかして言いたくもなる。眼球に戻れば気楽だ。腫れた惚れたは勿論、受験勉強も就職活動も悩みにはならない。家庭も老後も気にしなくていい。
 ひとつ気になることがあるとすれば、他の眼球も私のように思考するのかどうか、だ。人間一般が接吻の時に目を瞑るのか開けるのか分からないのと同様に、眼球一般が思考するのかどうか、私には知るすべがない。いくら他の眼球を見詰めても無表情だ。私自身にも表情はない。声もないし字も書けない。だから知りようがない。私たち眼球一般が孤独な環境にあるだけなのか、それとも私だけ孤独な自我を有しているのか。考える葦が人間ならば私だって人間だ。透明人間だ。思考する眼球は透明人間なのだ。 眼球一般は透明人間なのか。それともこの世で透明人間なのは私と植物人間だけなのだろうか。
 

3.

 私が眼球であった間に起きた最もドラマティックな出来事は、白内障の手術であった。
 視力が落ちてきたのは我が宿主が齢七十を過ぎた頃である。我が宿主は幸運にも近眼も乱視も経験せず、柔軟で健やかな毛様体筋を維持してきた。これに関しては彼女の体質や遺伝によるところもあろうが、眼球にとって不摂生となる生活を避けてくれた彼女の努力によるところが大きかろう。私は感謝せねばならない。
 それでも我々は老いから逃れることはできなかった。彼女と私は漸進的な視力の低下を経験した。水晶体が濁り、光が白く散乱する。彼女が手にした診断書を見るに、どうも私の方が右の眼球より症状が進行しているようだ。どうも昔から、どちらかといえば私ばかり災難を経験している気がする。 彼女が瞬間接着剤を目に入れた時も右の眼球は無事だった。
 結局彼女は右の眼球はそのままに、私だけ切開してレンズを入れ替えることにしたらしい。私は一抹の不安を覚えた。私には、私なるものがどこに宿っているのかよく分からないのである。もし水晶体が人間でいう脳のような役割を果たしていたとしたら、私は謂わば脳死のような状態に陥るのではないか。私は動揺した。しかし、私がいくら恐れようが動揺しようが、当然我が宿主の知ったことではない。彼女は現代の進歩的な医療技術のおかげで問題なく視力を取り戻すであろうから、手術を受けることに関して怖がりも躊躇いもしなかった。
 斯くして我々は手術の日を迎えた。あの日瞬間接着剤を剥がしとってもらってから何年が経ったろうか。私は再び手術室の天井を見上げ、 マスクをした無表情な医師の顔を見た。ああ人ならねど儚き人生であった。生まれながら徹底的に受動的な生であった。私の外的振る舞いの全ては我が宿主の行動によって決定されていた。子供の時分から見守ってきた彼女には強い愛着がある。透明な瞳に無鉄砲な好奇心を溢れさせていた幼年時代、眼球のことも母のことも顧みず容姿に固執していた反抗期、他人に激しく恋愛し熾烈な視線を交わしあっていた娘時代……走馬灯のように我が宿主の人生の光景が思い起こされ、恥ずかしくも泪を溢れさせそうになるのであった。いつの間に彼女は頬に皺を刻み、髪の毛を白くし、瞳を濁らせたか。 
 医師は麻酔やその他の薬剤を私に振りかけた。 そしてメスを私の角膜に走らせ、水晶体を粉砕し取り出した。私は呼吸器を欠きながらも息を詰めて最期の時を覚悟してみたが、とりたてて自我を失うなどもなく拍子抜けした。やはり水晶体に私なるものが宿っていたわけではないらしい。ただし一時的に視界は失われ、世界は真っ白な光に包まれた。医者が新たなレンズを挿入している最中であることは予想がついたが、それにしても奇妙奇天烈な無感覚であった。瞼を閉じているだけの状況とはまるで違う。あたかも魂だけ眼球から抜け出して、真白の世界を浮遊しているかの如くであった。
  そして次に視界を取り戻したとき、清冽な世界が現前することに少なからぬ感動を覚えた。知覚の能力を回復した今、改めて世界は隅々まで精緻であった。我が宿主の顔には思ったより多くのシミや皺があり、我が宿主の自宅の床や窓は思ったより汚れていた。彼女は鏡を覗き込んでは顔をしかめ、汚れを発見しては執拗に掃除するが、しかし一方の私は細やかに知覚する純粋な悦びに満たされていた。シミや皺や汚れを不快に思うのもまた彼女をはじめとする人間の思い込みに過ぎない。
 折角視力を回復したのに、我が宿主が一生を終えたのはそれから間もない頃であった。彼女は脳卒中を起こしてあっさり逝ってしまった。私はその一部始終を見ていた。彼女は瞼を閉じないまま意識を失ったのだ。だから彼女の夫が彼女を発見するまで、私は窓の外を見詰めていた。冬の陽射しが柔らかく降っていた。日本人女性にしては少しばかり早い死であったかもしれないが、七十も八十も大した違いはないだろう。私は穏やかな悲しみに浸った。私が多少なりとも愛した人間がいたとしたら、やはり我が宿主であった。
 そのうち壊れたテレビのように、視界が砂嵐に覆われて瓦解していった。循環器系が動きを止めて、眼球の機能も失われつつあった。視界が完全に途切れたとき、水晶体を取り除かれたときの感覚とそっくりだと思った。あの時は無秩序な光に包まれた真っ白な無感覚だったが、今度は井戸の中に沈みゆくような真っ黒な無感覚だった。
 そして自分がまだ思考しているらしいという事実に気付いて困惑した。
 結局私は眼球だったのか、今でも分からない。私はただ今も思考しているのみである。真っ黒な無感覚の中で感覚の思い出に浸っている。私のような私が他に存在するのかも未だに謎である。あなたの眼球にも私のような私があるのかも知れないことについて、できれば考えてみて欲しい。私にとってそういった存在が不可知だが否定不可能であるのと同じように、あなたもあなたの眼球におけるその存在を知り得ないが否定できない。その蓋然的存在は、気楽なれども避けがたく孤独である。たまに労ってやると喜ぶかも知れない。いやいや、「寂しくない?」と紙切れにでも書いて問うてみたら、蜜の味を知ったその存在は、ひょっとすると気を狂わせてしまうかも知れない。
 すべての思考する天涯孤独の眼球あるいは任意の透明人間へ、この思念を捧げたい。
(了)