だれかれも長じて見ゆるはまやかしでここは稚児らの夢の跡なり

山奥の宿はうつつを知らぬゆえ君はいくども蘇へるらむ

清潔の概念のやうな浴槽で洗ひ清める土くれの脚

白日に肌晒しては花の湯で「みだれ髪」など詠めるものかは

懐石の春は自然の春なりや桜・たらの芽・筍ご飯

着慣れざる羽織か酔ひの盃か名無しの我に名を与ふのは

山荘の殺人事件に格好の部屋の障子に伏線を張る

人狼の嘘を腑抜けにする毒が湯煙のなかに含まれてゐる

難波津に咲くやこの花忘れりと思へど指の覚ゆがかるた

霧雨も珈琲の湯気もお茶菓子も記号に見ゆる春の風邪ひき

長雨を眺めど思ふひともなし長閑な旅の春のあけぼの

だれかれも長じて見ゆるはまやかしでここは稚児らの夢の跡なり

二〇一七年 春 鬼怒川にて