死んだ友達と生きた友達の数が同じくらいになってくる

 詩人から突然電話がかかってきて、明日は空いていないかと訊かれた。いかにも空いていなかった。某ヴァイオリニストのコンサートの隣席が空いているのだが、と彼は言った。行きます、と私は即答して、無理やり予定を調整した。翌日のテストの準備を何もしていなかったけれども知ったことかと思った。
 その演奏は筆舌に尽くし難く素晴らしかった。とりわけソロでの演奏はなんだか唾液がにじむくらい甘美だった。1万円のクラシックなんて聞かないでしょうと詩人は言う。ええ聞きませんね、とわたしは答える。あれは日銀総裁のクロダさん、あれは前日銀総裁、きっとふたりとも君の先輩でしょ、と詩人はわたしを馬鹿にする。あれは元ルーマニア大使で、ヴァイオリニストに夭逝の作曲家の遺稿を調達した。あれは小林秀雄。頂点に上り詰めた壮年の男女が日常的な礼装に身を包んでひしめいている。この演奏会のチラシがひどくダサかったことを思い出した。真なる価値は市場経済に巻き込まれない。宣伝もブランディングも必要ない。そもそも彼らにとって1万円なんて紙切れに過ぎないのだ。来期の金利を決めた頭を至上の芸術で和らげる。ここでは批判も分析も必要ない、すべてが正統なる権威に裏打ちされているのだから。
 
 帰りは雨が降っていて、傘を持たないわたしたちはタクシーを求めて歩いた。ずいぶん探してやっと空席のタクシーを見つける。新宿方面の寿司屋に行きたいのだと詩人は言った。あの寿司屋によく連れて行ってくれた國學院大學の教授が植物人間になったらしいから、その消息を知りたいんだ。これくらい長く生きていると、死んだ友達と生きた友達の数が同じくらいになってくる、と詩人は言う。その中間の人もいるんですね、植物人間、とわたしは笑う。
 寿司はまた蕩けるように旨かった、わたしは久保田を飲みながら詩人の分までぱくぱく食った。詩人はゆっくりビールを飲んで刺身と海苔巻きを少し口にした。彼女は出会い系サイトで出会った子でね、と詩人は寿司屋にわたしを紹介した。すっごく使い勝手のいい出会い系サイトなんですよ、とわたしは適当に口裏を合わせた。我々は半世紀も年が違うんだ、これはすごいことですよ、と詩人は上機嫌で言う。
 ――出会い系サイトっていうのは本当にすごいもので、この子はじつは東大生でね。日銀総裁にだってなれる子なんですよ。たこやきみたいなちんちくりんな顔をしているくせにね。
 わたしは思わず日本酒を口に含み、内心で激しく言い訳した。わたしは生活のためにしょうがなく大学生をやっているんですよ。生活のため、ただ生活のため。あなただって東京オリンピックのときには生活のために新聞紙にくるんだ握り飯を売っていたんでしょう。 
 酒を飲むにつけて詩人が恨めしくなった。植物人間になってしまえばいいのにと思ったけれども、この人はたぶんぽっくり往生するに違いがないのだった。脳卒中を起こしても嘘みたいに息を吹きかえすし、箸を持つ右手がわずかに震えているけれども相変わらず憎いくらい面白い話ばかり聞かせてくれる。わたしは酸素の足りない金魚みたいに口をぱくぱくさせながら詩人をうらやむことしかできない。
 しかし金持ちと言うのはつまらないですよ。いくら金持ちの話を聞いても面白くない。金がないことを話す方が楽しいんです。このあいだ僕は200円だけ財布に入れて出かけて、そしたら150円の新聞も買えなかった。君だってさすがに200円は心許ないでしょ。わたしはヨーロッパを旅行している最中にクレカが切れた話をした。それで、父に航空券を買ってくれと連絡したんです、と言うと、詩人は鼻で笑った。それのどこが貧乏なんだ?
 そういえば前に僕をここに連れてきてくれた教授のことを知りませんか、と詩人は寿司屋に訊いた。寿司屋は読めない笑顔のままで、そういえば最近はいらっしゃいませんがよく分かりませんと答える。わたしは次々と猪口を口に運ぶ。詩人のビールは減らない。時代も年代もなにもかも違うのだから仕方がない。半世紀も違うのだ、これは本当にまったくすごいことだ。

 翌朝の学校の試験を受けたあとに友人と鉢合わせた。次の東京五輪で握り飯を売ろうよと、本気を装って提案すると、友人はマクロ経済の教科書の向こうからわたしを見てくすくす笑い、そんな余地はないと思うよと言う。大丈夫だよなにせオリンピックだから、新聞紙に包んだようなめちゃくちゃな握り飯が甲州街道で飛ぶように売れて、それで財を成したわたしたちは毎日ヴァイオリンを聴いて詩を書きながら暮らすんだよ、なにせオリンピックなんだから。そう語るそばから唇の端が笑ってしまう。笑いながら、次回の五輪は大赤字、来期の金利はゼロ金利、と歌うように繰り返していると、喉が嗄れていることに気がついた。雨に濡れて風邪をひいている。そういえば二日酔いで頭も痛い。次回の五輪は大赤字、来期の金利はゼロ金利。もっとまともな歌はうたえないわけ、と友人が言うけれども、なぜだか馬鹿けた即席のフレーズが頭から離れない。次回の五輪は大赤字、来期の金利はゼロ金利。もっとまともな歌、まともな歌、と強迫的に念じたところで、これといってなにを思いつくこともできない。