ベレニス/Berenice

エドガー・アラン・ポーによるBerenice (on the Broadway Journal, 1845) を翻訳しました。
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ベレニス
我が伴侶ら語りて曰く、最愛の者の墓の訪問は、汝の苦悩を幾らか慰めん、と (*1)
――Ebn Zaiat

 苦悩なるもの多様にして、大地の不幸は多彩である。開けた地平線を虹の如く超越して、その色彩はその弧の色彩と同じく様々である――同じく峻別可能だが、しかし本質的には混じりあっている。開けた地平線を虹の如く超越する! 何ゆえ私は美しさからある種の見目悪さを導いてきたのか? ――平和の盟約から悲しみの直喩を? しかれども、倫理学的に、悪が善の帰結であるように、故に、事実、喜びの中からこそ悲しみは生まれる。あるいは過ぎし至福の記憶は今日の苦悶であり、あるいは存在する痛苦は存在したかもしれない快楽に起因する。
 私の洗礼名はエガスだが、それを与えた我が家族について語るつもりはない。ただ先祖から引き継いだ薄暗く灰色の館が、この地において最も由緒正しい建造物であった。我らが血筋は幻視者の血統と呼ばれ、そして多くの顕著な点に――氏族の屋敷の特徴に――大広間のフレスコ画に――寝室のタペストリーに――兵器庫の壁面彫刻に――しかしより際立って、骨董絵画のギャラリーに――図書室の様式に――それから、蔵本の特異極まりない性質に、その信条を裏付けるに余りある証拠があった。
 私の若かりし頃の記憶はあの図書室とその書物に係累している――後者についてこれ以上は語るまい。私の母はまさにここで死亡し、ここにおいて私は誕生した。しかし私がそれ以前に生きていなかったと言うのは単に安逸である――その精神に前世なしと言うのは。諸君は否定されよう?――論争は止しておこう。自ずから確信せしかば説得は求めぬ。しかれども、空想的な形態の――霊的で意味ありげな瞳の――心地よく、しかし哀れなしらべの、排除し難き記憶が――曖昧で、多様で、無限で、不安定な影のごとき、私の理性の陽ざしが存在しうる間にも消し去り得ぬ影のごとき思い出が――存在するのである。
 その部屋において私は出生した。そうして、非実在に似て非なる長かりし夜から目覚めたと同時に、他でもないお伽の国の地へと――想像力の宮殿へと――禁欲的思索と博学の荒涼たる支配地へと、目覚めたのであるから――私が驚きに満ちた目を煌めかせて辺りを見まわし、本の中をあてどなく遊んで少年時代を逸し、青春を空想のために消散させたのは、決して奇妙なことではない。しかし、そうはいっても、時が過ぎ去った人生の壮年期においてもなお、私が父たちの屋敷に暮らしていたことは奇妙である――そこの如何なる淀みが我が人生の春に覆いかぶさったのか――私の日常的な思考の特徴が如何にして完全に反転してしまったのか――不可思議極まりない。世界の現実味は幻想として、幻想としてのみ私に作用し、そうして、夢の国の荒れ狂った思念は――私の日常的存在の構成物としてではなく――翻って、まさしく本当に、完全に単一にそれ自身によって存在するものに、変貌したのである。
 ベレニスと私は従兄妹同士で、我々は私の父方の屋敷で共に育った。しかし我々の育ち方は相異なっていた――私は不健康にして塞ぎの虫にとりつかれて――彼女は聡明にして優美、活力に溢れて――彼女の場所は丘陵の逍遥――私のは回廊の書斎――私は自分自身の心内に住まい、最も激しく痛ましい黙想に身も心も依存して――彼女はその行く道の影も知らず、何時間も飛翔しうるワタリガラスの無音の飛行をも知らず、人生を通じて奔放にそぞろ歩いて。ベレニス!——私は彼女の名を呼ぶ――ベレニス!——そしてその声によって、記憶の灰色の廃墟から激しい追憶が触発される! 嗚呼! 彼女のイメージは今や鮮明に私に現前する、彼女の持ち前の明朗さと喜びに満ちたあの日々と全く同様に! 嗚呼! 華麗なれど異様なる美貌! 嗚呼! アルンハイムの灌木に囲まれたシルフ!——嗚呼! 泉の中のナイアス!——それで――それで全ては怪奇と恐怖であり、語られざるべき物語である。病が――致命的な病が砂嵐のように彼女の身体に降り注ぎ、そして、私が彼女を見つめている間すら、変化の亡霊が彼女の上を通過していった、彼女の精神、習慣、性格に充満しながら、そして、最も巧妙で残酷な方法で彼女の容貌のアイデンティティを破壊しながら! 嗚呼! 破壊者は来たりて去りて、その犠牲者は――彼女はどこに居たのだ? 私が知っていたのは彼女ではなかった――あるいは私は、最早ベレニスたりえぬ彼女を知っているに過ぎなかった。
 その致命的で一次的な病は私の従妹の倫理的・肉体的存在に非常に残酷な種類の激変をもたらしたが、それよって併発する幾つもの症状のうち、本質的に最も悲惨で難治のものとして挙げられうるのは、一種のてんかんであり、それはかなりの頻度で昏睡状態に帰結した――明らかな絶命にほとんど完全に類似している昏睡で、大半の事例において、彼女がそれから回復する仕方は驚くほど唐突だった。一方で、私の固有の病は――というのもそれ以外の呼称ではそれを呼びえないらしいため――私の固有の病は急速に私を蝕み、最後には珍奇で突飛な形態の偏執狂的性質を帯び――絶え間なく刻一刻と勢いを増し――ついには私はそれにどういうわけか支配されることとなった。私の名付けるところのこの偏執狂は、形而上的科学の「注意深い」と名付けるところの精神の特質の、病的な過剰性に依っている。恐らく私の言うことは理解されないだろうが、確かに、残念ながら、単なる一般読者にこの見解を適切に伝えることはどうしても不可能であろう。この神経的な「関心の集中」によって、私の場合、幻想の能力が、この世の最もありふれた対象についての思索においてすらも、(厳密に言うまでもなく)猛烈に集中しまったのだ。
  一冊の本の片隅の印刷所紋章、あるいはタイポグラフィに注意を釘付けにして飽きることなく長時間黙考し、タペストリーや床の上に斜めに落ちた風変わりな影に夢中になって夏の日の大半を過ごし、ランプの静かな炎や炎の残り火を眺めて一晩中我を忘れ、丸一日花の香を夢見て過ごし、その言葉の発声が精神に全く何の意味も与えなくなるまでありふれた言葉を偏執的に頻繁に繰り返し、長く頑なに辛抱強い絶対的な身体の静止によって全ての動的で身体的な存在の感覚を喪失する――こういったことが、精神機能の状態によってもたらされる最も頻繁で最も無害な奇癖であり、全く類比不能ではないにせよ、分析や説明といったものを確かに受け付けない現象であった。
 しかし誤解なされないでほしい。――過剰で、熱烈で、病的な傾注は、このように本性的に取るに足らない対象によって掻き立てられるのだが、それは全人類に普遍的な沈思の性癖の特徴、とりわけ強い想像力を有する人々が甘受するそれと混一されてはならない。一見それらしく思われるかもしれないが、私のそれは、そのような性癖の極端な状態、あるいは誇大ですらなく、本来的・本質的に区別され異なっているのである。よくある場合においては、空想家や熱狂者は、大抵取るに足らなくはない対象によって興味を喚起され、それによってもたらされる推論や連想の激しさの中でこの対象への注視は失われ、多くの場合華やかさに満ちたこの白昼夢が終わるときまで、彼の熟考の誘引あるいは最初のきっかけは完全に消失し忘れ去られる。私の場合、その最初の対象は決まりきって取るに足らないのである、それでも、私の狂った想像を媒介として、屈折した非現実的重要性を呈するのだが。連想など殆ど無く、あったとしてもそれは執拗に元の対象をその中心に戻してしまう。その黙考が楽しかったことは一度たりともなく、空想の終わりにもなお、最初の対象は、注視されなくなるどころか、この病の最大の特徴たる超自然的で誇大的な興味の標的で有り続けている。つまるところ、精神の能力のうち、とりわけ機能する部分は、私の場合は前に述べたように〝傾注〟であり、空想家の場合は〝思弁〟なのである。
 私の蔵書は、この時期において、 私の病を直截に刺激することはなかったにせよ、概ね、それらの空想的でつまらない本性ゆえに、病の特徴的な性質に関与していたと言って良いだろう。とりわけ、名高いイタリア人Coelius Secundus Curioによる論文〝de Amplitudine Beari Regni Dei〟、St. Austinの傑作〝City of God〟、Tertullianの〝de Carne Christi〟を、私はすぐれて記憶している。Tertulianの「神の子は死んだ、不条理ゆえに確実に。葬られし子は蘇る、不可能ゆえに間違いなく(*2)」という逆説的な一文には、私の苦しく無為な思考が数週間にわたり絶え間なく費やされた。
 このように些細なものによってのみ均衡を崩される私の理性は、Ptolemy Hephestionによって語られた、海洋の岩山に類似しているように思われた。その岩山は、人間の暴力による攻撃にも、波風の荒々しい猛威にも微動だにせず抵抗するが、アスフォデルと呼ばれる花に触れることにのみ慄くのだった。思慮の浅い者ならば、ベレニスの不幸な病によって引き起こされた「倫理的」状態の変容が、私が苦戦しながらも説明してきた集中的で異常な瞑想の対象になるのは、疑いようもなく明らかな問題であると思われるかもしれないが、しかしそれは全くもって間違っている。確かに、私の弱点とは明瞭な隔たりを置きつつも、彼女の厄災は私にとって痛ましく、彼女の美しく穏やかな人生が完膚なきまでに破壊されたことを深刻に受け止め、そのような奇妙な変容がこんなにも突然に進行しているという超常性に関して私がしぱしば深く考え込むことがないわけではなかった。しかしながらこのような思考は、私の病の特異性に関与していたわけではなく、似たような状況下においては、人類一般の人々にも起こり得たことであろう。私の病は、それ自体の性質に即して、ベレニスの「身体的」外形に対する、重要ではないがより衝撃的な変容に対して反応したのであった――より奇怪でぞっとするような、彼女の外見的アイデンティティの歪曲に対して。 
 彼女が比類なく美しかった素晴らしき日々においては、間違いなく、私が彼女を愛したことは無かった。私の生活の奇妙な異常なのだが、私の感情が心からの感情であったことは一度もなく、私の情熱は常に理性からの情熱であった。 早朝の仄暗さの向こうで――午時の森の縞模様の影に紛れて――夜の図書室の静けさの中で――彼女は私の目の傍で動き回り、私は――生命と息吹のベレニスではなく、夢の中のベレニスとして――地上的な地上の存在ではなく、そのような存在の抽象として――可愛がるのではなく分析すべきものとして――愛の対象ではなく、難解でとりとめのない思索のテーマとして――彼女を見ていたのだ。そして今や――今や私は彼女の存在に身の毛がよだち、彼女が接近すれば血の気が引いた。それでも、彼女の凋落し蝕まれた姿がひどく悲しく、私は彼女が私を長く愛していたことを思い出し、そして、魔が差した瞬間、私は彼女に結婚を申し込んだ。
 そしていよいよ婚姻の時は近づき、その年の冬の午後――季節外れに暖かく、穏やかで、霞がかった、美しきハルシオンの癒しの日々に―― 私は図書室の奥の一角に座った(私が思うには、一人で座ったのだが)。しかし面を上げると、ベレニスが私の目前に立っているのだった。
  輪郭は揺れ動き不明瞭だった――私の昂奮した想像か――霞のかかった大気の影響か――部屋の頼りない薄明りか――彼女の身に纏ったくすんだ衣裳のせいか? 私には判らなかった。彼女は何も語らず、私は――私がどうして一音節たりとて発話せられよう? 凍るような寒気が私の全身を駆け、堪えがたき不安の感覚が私を圧迫し、身を焦がすような関心が私の精神を満たし、椅子に沈み込んだまま、私はしばし呼吸も動作も忘れ、彼女の体躯に目が釘付けになった。嗚呼! その衰弱は極まりなく、どの輪郭線も彼女の在りし肉体の面影を残さない。私の焼けつくような視線は遂に彼女の顔面へと達した。
 その額は高く、非常に蒼白で、奇妙に穏やかだった。そしてかつて漆黒だった髪が部分的に額にかかり、窪んだこめかみに 今やきつい黄色に変色した無数の巻き毛の影を投げかけ、巻き毛はその奇怪な性質で以って悲壮な面持ちの脇を揺れ動いていた。両目には生気がなく、輝きを失い、見たところ瞳孔を欠いていて、私は思わずガラスのような視線を避け、薄く萎縮して黙した唇へ退いた。唇は開き、そして奇妙に意味ありげな微笑みの中で、変わり果てたベレニスの歯がゆっくりと私の視界に露わになった。願わくは、神よ、その歯を目撃することさえなかったら! 或いは、目撃したが最後、我が命を絶やしてしまえれば!
 ドアの閉まる音に思索を妨げられ、顔を上げると、私の従妹が部屋を去っていることに気付いた。しかし私の脳内の無秩序な部屋からは、嗚呼、去ることなどない、振り切ることなどできないだろう、あの歯の白く恐ろしい残像を! 表面の染みでもない――エナメルの陰りでもない――縁の欠けでもない――しかし彼女が微笑んだあの短い時間は、何か私の記憶に烙印を押すのに十分だった。今やあの時よりも明瞭に私はそれを見ていた。あの歯――あの歯!――それはここにあった、そこにもあった、どこにでも、見るからに明白に私の眼前に。長く、細く、余りに白く、青白い唇がその周りで苦しんでいた、まさにその最初の恐ろしい発育の瞬間のように。そして偏執狂の完全なる激情が襲い来て、私は無力にその異常にして避けがたい影響を退けようともがいた。多様なる外界の対象物の中にあって、その歯を差し置いて私の意中に上るものは何もなかった。このためにこそ私は熱烈な欲求をもって切望した。その他すべての物事も異なる興味も、この単一の瞑想に同化した。それが――それだけが精神の眼に対して現前し、そしてそれが、その固有性のみにおいて、私の精神生活の真髄となった。私はあらゆる観点にそれを照らした。それに対してあらゆる態度を取った。その性質を精査した。その特徴に思索を巡らせた。その構造について熟考した。その性質の変化について黙想した。感知と感覚の能力や唇に依らない感情表現の能力を想像上のそれに付与して、私は身震いした。Mad'selle Salleに対して「彼女の全てのステップに感覚があった(*3)」とよく言われるが、ベレニスに対して私は心の底からこう言いたい、彼女の全ての歯は観念であったと。観念!(*4) 嗚呼、これぞ私を破滅させた馬鹿馬鹿しい考え! 観念!――嗚呼だからこそ私はそれをこれほど狂おしく切望するのだ! その歯を所有することによってのみ、初めて理性を取り戻し平静を回復することができるように感じられた。 
  そして夕闇が私に迫り――そして闇夜が訪れ、淀み、去り――そして夜が再び明け――二度目の夜の霞が今や辺りに停滞していた――そして私はなおその孤独な部屋で微動だにせず、なお瞑想に耽って立ち上がらず、なお歯の幻想はこの上なく明瞭で忌まわしい独特さを以ってどうしようもない優勢を保ち、変容する部屋の光と影の中を浮遊し回っていた。遂に私の夢想を蹴破ったのは、恐怖と狼狽に満ちた泣き声だった。そして暫くの沈黙の後、悲哀或いは痛苦の低い呻きと入り混じって、困惑した台詞の音がそれに続いた。椅子から立ち上がり、図書室の扉の一つを無造作に開くと、侍女が滂沱と涙を流して控えの間に立ち尽くしていた。彼女が言ったのだ、ベレニスは――遂に逝ったと。彼女は朝からてんかんに襲われ、そして夜の迫る今、墓穴はその住人のために用意され、埋葬の準備は全て整えられていた。
 私は自分が図書室に座っており、そしてまたしても一人で座っていることに気が付いた。どうも私は混然として刺激的な夢からたった今覚醒したようであった。現在は真夜中ではないことは分かっており、日が暮れて以来ベレニスが土の中に在ることも良く承知していた。しかしその間の恐ろしい時間に関して、明白なことを――少なくとも確実なことを何も覚えていなかった。しかしその記憶は恐怖に満ちていた――不確かであるためにより恐ろしい恐怖、曖昧さのためにより深刻な怖気に。それは我が人生の記録のおぞましき一頁であり、すべてがおぼろげで、ぞっとするような、理解しがたい追懐によって記されていた。私はそれを読み解こうとしてみたが徒労であった。時折、行き去りし音の亡霊のように、甲高く貫くような女性の金切り声が私の耳の中で鳴り響いているようだった。私は何か行動をしたのだ――それは何だったのか?私は声に出して自問し、部屋で木霊した囁きが私に答えた。「それは何だったのか?」
 私の傍らのテーブルではランプが燃え、その隣に小さな箱があった。それは目立った特徴を有しており、私は以前それを頻繁に目にしていた、というのもそれは我が家の掛かりつけ医の所有物であったからだ。しかし如何にしてそれはそこにあるのか、私のテーブルの上に、そして何故私はそれに関して身震いしているのだ? これらのことは説明されるべくもなく、私はある本の開かれたページに目を落とし、その中で下線を引かれた一文を辿った。詩人Ebn Zaiatの奇妙だが簡潔な一節だった。「我が伴侶ら語りて曰く、最愛の者の墓の訪問は、汝の苦悩を幾らか慰めん、と」。ではなぜ、この文章を熟読しながら、私の髪の毛は末端まで逆立ち、身体中の血液は血管の中で凍結しているのか?
 書斎の扉が軽く叩かれ、墓の中の死者の如く蒼ざめた下男が忍び足で入ってきた。彼の様相は恐怖で狂乱し、震え、掠れた、非常に低い声で彼は私に語りかけた。彼は何と言ったのだ?――聞こえたのは文の断片に過ぎなかった。彼は話した、夜の静けさを切り裂いた恐ろしい叫び声について――その音の源の探究について――そして彼の声音はいかにも恐怖して囁いた、暴かれた墓について――損じられた遺体について、それは死に装束に包まれながら、まだ呼吸があり、まだ脈があり、まだ生きていた!
 彼は私の着衣を指差した――それは泥に塗れ血糊が凝固していた。私は口を利けず、彼は丁重に私の手を取った――それには人間の爪痕が刻まれていた。彼は壁に立てかけられたある物体に私の注意を向けた――私はそれを数分間見つめた――それは踏み鍬だった。私は鋭く叫んでテーブルに飛び付き、その上の箱を掴んだ。しかしそれを開けることは能わなかった。それは私の震える掌から滑り出て、激しく落下し、ばらばらに砕け散った。そして、その中から、大音響とともに、歯科手術の器具が転がり出て、それに混じって、床中あちこちに散らばったのは、三十二の、小さくて白い、象牙のごとき物体であった。
(了)