奈義にて/常識的で、親切で、話し過ぎず、黙り過ぎない人々

奈義にて

磯崎新生成りのような産着を着せられたその分身が生まれ落ちた二か月後に私もまた産声を上げた。分身がその中に様々な有機体を放り込んで人間の誕生の実験をしているあいだ、誕生した私は絶望的な天命に満ち満ちた世界に愚かしくも自らの有機体を順応させていった。何も疑問を抱かなかったわけではない。自分の脚を見つめてそこに自分のような何かが存在することに対する畏怖、存在してしまったことに対する恐怖を如実に感じていたことを私は明確に記憶している。小さなリヴィングルームの歪んだあいうえお表の下で誰もそれに気づかなかった。私はあの分身の中で人工的なノスタルジーによってあやされるべきだったのだ。しかしもはや荒川の肉体は(恐らく)絶え、私の肉体は大人に成りきれないまま死んだ知覚を抱えて硬直している。私が二十年かけて肉体を朽ちさせてきたあいだに分身は二十年かけて数多の主体を漂白しあらたな軸線の上に再建し続けてきた。一体何年死ななければ乗り越えられるのか。言葉と物語に対する失望が強大に押し寄せて口を塞ぎ手足から力を奪って帰路を辿るのすら煩わしい。

 

常識的で、親切で、話し過ぎず、黙り過ぎない人々

 小雨が降っていて《CLOSE》の札がかかっていた。中に人影が見えたのでわざとらしくグーグルマップを見ながら時間を潰していると明るい茶髪の女性が《OPEN》の札を持って表に出てきた。「まだあまり準備ができていないんですよ」と彼女は人懐こい声音で言った。 プリンがあるかと訊ねると女性はあると言い、じゃあプリンとコーヒーをお願いしますと言って私はそのカフェの中に入った。《26. 10. 2 OPEN》と黒板に書かれている。奥の方から声変わりしかけの男の子の声が聞こえる。
 何となくコージーとしか説明しようのない空間。カントリー風だけれどもシュロの鉢植えがありレトロなキルティング生地がある。ジャズのようなバップのような音楽が流れている。古き良きアメリカ、ハワイの陽ざし、日本の田舎らしい細やかな気配り……。空間を結果ではなくプロセスで説明可能ならばハンドメイドの空間だった。店のあちこちの籠に溢れんばかりに詰め込まれた枯れたアジサイの花が魅力的だった。昔見たダンサーは枯れたアジサイの花をぐしゃぐしゃに蹴散らしながら踊っていた。蹴散らされたアジサイはあまり好きではなかった。
 観光案内所のある男性が、この街の牛乳を使ったプリンを開発したと聞いたのでやってきたのだった。彼は恐らく私と同じくらいの年齢で、背が高く精悍な顔つきをして、なぜか観光案内をするのにいつもジャージを着ていた。私は自分が地元の観光案内所に勤めながら特産品開発に頭を悩ませる境遇を想像してみようとしたが無理だった。彼は自分の父親ほどの年齢の男性とふたりで1億円の建築の中に勤務して、パンフレットを折ったりプリンを開発したりして生活しているのだ。
「どちらからいらしゃったんですか?」
「東京に住んでいます」
「こんなとこまでよういらっしゃいました。でも東京の人多いんですよ……」 
「建築家もアーティストも有名ですから……」
「あのためだけにいらっしゃる人も多くて」
「私もあれがなければ来なかったと思います」
「いいところですよね、私もすごく好きなんです……」 
「他にない美術館ですからね」
「普通の美術館は作品を飾りますからね」
「好きでない人もいらっしゃるでしょう」
「そうですね、何だあれって人も……よくぞここに作ったなと思います」
 このあたりの人は不思議な抑揚で喋る。兵庫県境に近いからか少し関西風のアクセントがある気もする。 けん、けんという語尾が耳に付くが、私と喋る人は丁寧語で話すので語尾の特徴が消失してしまう。
「東京の人からしたら何もないとこでしょうけどね……」
 本当にそうだろうか? しかしここには美術館があり、宿があり、町役場があり、カフェがあり、コンビニがあり、うどん屋があり、巨人伝説があり、自衛隊駐屯地があり、豪族の邸宅と山城の跡があり、蛍の出る川と桜並木があり、樹齢数百年のイチョウがある。人々はよく物を識っていて、方言と標準語を流暢にあやつり、しかも春になったら邪魔なタケノコを食べるわけでもなく踏みつぶす。放っておくと庭が竹やぶに覆い尽くされてしまうからだ。訪問した限りではあるべきものがあり、それ以上でもそれ以下でもない。不可解なことが非常に少ない。明瞭で、丁重で、常識的だ。
 この町に辿りつくには岡山駅から電車とバスを乗り継いで2時間かかる。何か秘境のような場所だと期待していたかと問われれば、イエス。何か常識的な鬱陶しさから解放されるかと期待していたかと問われれば、イエス。エゴイスティックな幻想を押し付けようとしていたことを認めなければならない。
 工業的な半透明のプラスティックに入った真っ白なプリンには飾り切りされた苺が乗っかっていて、食べると確かに質の良さそうな牛乳の味がする。 美味しいです、と私は店員の女性に言った。多分私がこの店を訪れてプリンを食べたことは観光案内所の男性に電話で伝えられるのだろうと思った。ブレンドコーヒーはおかわり200円。3日間この町に滞在したが晴れの国の空はついぞ青空も虹も見せなかった。雨に濡れた七分咲きの桜の木が何本も点在していた。傘が無かったので色々な人のビニール傘を借りた。常識的で、親切で、話し過ぎず、黙り過ぎない人々にたくさん出会った。零れんばかりのアジサイが色彩を失って華やかである。あのアジサイを自分の部屋にと静かに欲望するが東京で枯れたアジサイが摘めるのはどこなのだろう。