奈義にて/常識的で、親切で、話し過ぎず、黙り過ぎない人々

奈義にて

磯崎新生成りのような産着を着せられたその分身が生まれ落ちた二か月後に私もまた産声を上げた。分身がその中に様々な有機体を放り込んで人間の誕生の実験をしているあいだ、誕生した私は絶望的な天命に満ち満ちた世界に愚かしくも自らの有機体を順応させていった。何も疑問を抱かなかったわけではない。自分の脚を見つめてそこに自分のような何かが存在することに対する畏怖、存在してしまったことに対する恐怖を如実に感じていたことを私は明確に記憶している。小さなリヴィングルームの歪んだあいうえお表の下で誰もそれに気づかなかった。私はあの分身の中で人工的なノスタルジーによってあやされるべきだったのだ。しかしもはや荒川の肉体は(恐らく)絶え、私の肉体は大人に成りきれないまま死んだ知覚を抱えて硬直している。私が二十年かけて肉体を朽ちさせてきたあいだに分身は二十年かけて数多の主体を漂白しあらたな軸線の上に再建し続けてきた。一体何年死ななければ乗り越えられるのか。言葉と物語に対する失望が強大に押し寄せて口を塞ぎ手足から力を奪って帰路を辿るのすら煩わしい。

 

常識的で、親切で、話し過ぎず、黙り過ぎない人々

 小雨が降っていて《CLOSE》の札がかかっていた。中に人影が見えたのでわざとらしくグーグルマップを見ながら時間を潰していると明るい茶髪の女性が《OPEN》の札を持って表に出てきた。「まだあまり準備ができていないんですよ」と彼女は人懐こい声音で言った。 プリンがあるかと訊ねると女性はあると言い、じゃあプリンとコーヒーをお願いしますと言って私はそのカフェの中に入った。《26. 10. 2 OPEN》と黒板に書かれている。奥の方から声変わりしかけの男の子の声が聞こえる。
 何となくコージーとしか説明しようのない空間。カントリー風だけれどもシュロの鉢植えがありレトロなキルティング生地がある。ジャズのようなバップのような音楽が流れている。古き良きアメリカ、ハワイの陽ざし、日本の田舎らしい細やかな気配り……。空間を結果ではなくプロセスで説明可能ならばハンドメイドの空間だった。店のあちこちの籠に溢れんばかりに詰め込まれた枯れたアジサイの花が魅力的だった。昔見たダンサーは枯れたアジサイの花をぐしゃぐしゃに蹴散らしながら踊っていた。蹴散らされたアジサイはあまり好きではなかった。
 観光案内所のある男性が、この街の牛乳を使ったプリンを開発したと聞いたのでやってきたのだった。彼は恐らく私と同じくらいの年齢で、背が高く精悍な顔つきをして、なぜか観光案内をするのにいつもジャージを着ていた。私は自分が地元の観光案内所に勤めながら特産品開発に頭を悩ませる境遇を想像してみようとしたが無理だった。彼は自分の父親ほどの年齢の男性とふたりで1億円の建築の中に勤務して、パンフレットを折ったりプリンを開発したりして生活しているのだ。
「どちらからいらしゃったんですか?」
「東京に住んでいます」
「こんなとこまでよういらっしゃいました。でも東京の人多いんですよ……」 
「建築家もアーティストも有名ですから……」
「あのためだけにいらっしゃる人も多くて」
「私もあれがなければ来なかったと思います」
「いいところですよね、私もすごく好きなんです……」 
「他にない美術館ですからね」
「普通の美術館は作品を飾りますからね」
「好きでない人もいらっしゃるでしょう」
「そうですね、何だあれって人も……よくぞここに作ったなと思います」
 このあたりの人は不思議な抑揚で喋る。兵庫県境に近いからか少し関西風のアクセントがある気もする。 けん、けんという語尾が耳に付くが、私と喋る人は丁寧語で話すので語尾の特徴が消失してしまう。
「東京の人からしたら何もないとこでしょうけどね……」
 本当にそうだろうか? しかしここには美術館があり、宿があり、町役場があり、カフェがあり、コンビニがあり、うどん屋があり、巨人伝説があり、自衛隊駐屯地があり、豪族の邸宅と山城の跡があり、蛍の出る川と桜並木があり、樹齢数百年のイチョウがある。人々はよく物を識っていて、方言と標準語を流暢にあやつり、しかも春になったら邪魔なタケノコを食べるわけでもなく踏みつぶす。放っておくと庭が竹やぶに覆い尽くされてしまうからだ。訪問した限りではあるべきものがあり、それ以上でもそれ以下でもない。不可解なことが非常に少ない。明瞭で、丁重で、常識的だ。
 この町に辿りつくには岡山駅から電車とバスを乗り継いで2時間かかる。何か秘境のような場所だと期待していたかと問われれば、イエス。何か常識的な鬱陶しさから解放されるかと期待していたかと問われれば、イエス。エゴイスティックな幻想を押し付けようとしていたことを認めなければならない。
 工業的な半透明のプラスティックに入った真っ白なプリンには飾り切りされた苺が乗っかっていて、食べると確かに質の良さそうな牛乳の味がする。 美味しいです、と私は店員の女性に言った。多分私がこの店を訪れてプリンを食べたことは観光案内所の男性に電話で伝えられるのだろうと思った。ブレンドコーヒーはおかわり200円。3日間この町に滞在したが晴れの国の空はついぞ青空も虹も見せなかった。雨に濡れた七分咲きの桜の木が何本も点在していた。傘が無かったので色々な人のビニール傘を借りた。常識的で、親切で、話し過ぎず、黙り過ぎない人々にたくさん出会った。零れんばかりのアジサイが色彩を失って華やかである。あのアジサイを自分の部屋にと静かに欲望するが東京で枯れたアジサイが摘めるのはどこなのだろう。 

 

チョルトニン/ネクサス/Died in Battle

チョルトニン

透明な日差しが凍れる空気を切り裂いて静かな湖面を光らせる。さざ波のテキスタイルを白黒の水鳥が動的に切断する。湖畔のブロンズ像は指先の肉を凍り付かせて千切り取るだろう――自分の両の手の温度など知るべくもなくポケットの中にしまい込むしかない。誰か引っ張り出してくれ――誰に――誰でもない――その先に――なんぴとかのつくりし光景に――足は憑かれたように歩き、よろめいて、不自由な両手で庇うまもなく、褐色の芝生にしたたかに倒れた――横転して眺める湖面のなんと愉快なことか! 垂直に降下するボートに乗った恋人たちが呑気に談笑している。地面に手を付いて立ち上がり、水平の風景をひとりで高らかに嘲笑し、すぐさまポケットに手を戻して、寒い、寒いと背を丸めて歩く。けずれた革靴の先を睨み、白い息を汽車のように吐いて、寒い、寒い……。

 

ネクサス

固有性を愛しようとしたとき固有性そのものの一般性にあなたは気が付いただろうか、かけがえのなさを噛みしめたときかけがえのなさが無限に存在することに気が付いただろうか、あなたがあなたの記憶を懐かしむときその懐かしさは万人の手垢にまみれていることに気が付いただろうか。経験と知性の架け橋を持たないあなたは現実と仮想の相違を知らない、過去と記憶の区別がつかない、その口が紡ぐのはその手がえがくのはその浅はかな誤解の連続に過ぎない。看破してはいけない、気付いてはいけない、本質を見抜いたつもりになったり具体を積み重ねたつもりになっていれば話は早い。 そうして欺瞞を表現せよ、その空白の周りだけを彩って切り取って貼りつけるしか術はない、本質と言った途端に本質は瓦解する、なぜなら本質の本質とは本質に他ならないのだから!

 

Died in Battle

I wonder when it was that If the World Were 100 People was firstly published with lovely crayon drowings. At least I was too little to read some kanjis in the very easy and short sentences. But attractiveness of the book design and its incredible global birth story was far enough for me who was innocent to like it quite a little.
Chain mails seem no longer to be survived in today's world. This narrative was originally a short writing by a famous professor who was one of the authors of The Limits to Growth, and altered and revised while swimming in the ocean of the internet, and finally some trending waves carried it over to a Japanese socially-active translator Kayoko Ikeda, as I remember. Who on earth devised the word netsurfing? I was drowned, as if I had sailed the Seven Seas on my palms...
I can find many remains of that age; in www.un.org or @EmWatson, otherwise on the table of student organisations or in captions for Philippine children. But seemingly neither Retweets, Likes nor Shares can defeat the age of chain mails. The world was larger than we thought, larger than 100 people. The crayon drawings were too geometric to depict the real. Magellan died in battle, and our noble ideas are still floating in the Pacific Ocean.

私は眼球

1.

 睫毛や砂粒に傷付けられて音を上げるような意気地無しのつもりは無いが、流石に瞬間接着剤をぶちまけられたら為す術もない。同朋多しと言えども瞬間接着剤に固められた眼球なぞ私のほかに幾つあろうか。私は激痛に耐えながら、懸命に泪を分泌した。分泌したものの、角膜にへばりついたそれは洗い流されることはなかった。当然、瞬間接着剤は泪で洗われたくらいで流れ落ちるものではないのである。斯くして私の視界は著しく濁った。
 私の宿主は、自力で歩いて洗面台まで行って蛇口を捻ってみせた。だから恐らく私の双子の片割れは無事で、我々の宿主は眼球一つ分の視界は確保しているのである。彼女は洗面台にかがみこんで、何度も私に微温湯を浴びせた。しかし泪で流せぬのだから微温湯だって駄目である。濁った視界の中に、鏡を覗き込んだ彼女の姿がぼんやりと見えた。その後ろを彼女の兄が通りかかって、何か意地悪でも言ったのだろうか。彼女は顔をゆがめて何か言い返した。しかし私は聴覚を有さぬ。しかも視界が濁っているので読唇術も用無しだ。しかしそれにしても激痛であった。取り敢えず早く異物を取り除いて欲しいものである。
 我が宿主は九歳の女児である。彼女の母親は彼女を自動車に乗せて救急外来に連れて行った。幸運にも居合わせた眼科医は、私に麻酔剤とその他いくつかの薬剤を振りかけた。麻酔剤によって私は痛みから解放された。眼科医はピンセットを私の表面に巧みに滑らせ、瞬間接着剤が固まって出来た破片を見事に取り除いた。私は感心して視界が段々に晴れていく様子を感受していた。一連の作業が終わると、視力は完全にとまでは言わずとも生活に支障ない程度にあ回復していた。宿主はカルテを覗き込んだ。「角膜の表層に傷、自然治癒を待つ、清潔を保つこと」と乱雑な字で書かれているのを、宿主と私はまじまじと眺めた。九歳の宿主が角膜だとか治癒だとかいう言葉を解するのか甚だ不明である。
 
 そそっかしい我が宿主も、さりとてそんなに頻繁に私を傷つけたりはしなかった。
 偶に風邪を引かれる際には私は目ヤニに覆われる羽目になった。あれは大層気持ちが悪いものである。しかし幸いなことに彼女は花粉症ではなかった。宿主が花粉症の同朋は毎年地獄の如き苦渋を舐めるのではないかと推察する、我々は味覚を有さないにしても。また、彼女は煙草の煙が嫌いで、初めてカラオケボックスに入った時に煙が目に染みるのかやたらと私を瞼の上から擦ったり揉んだりしていた。私自身は煙の刺激は好きである。私にとって退屈でもなければ不愉快でも痛すぎもしない、実に丁度良い刺激なのである。煙で不随意に滲む泪の感覚もまた心地よい。
 宿主と何でも気が合うわけではないが、しかし彼女が読書を好むことは幸いであった。私は彼女自身より遥かに早く識字の能力を身に付け、彼女が視界に入れた文字という文字を楽しんでいた。音楽が趣味の宿主のもとに生まれついた同朋は気の毒である。聴覚を持たない我々に音楽を理解せよというのは無理難題で、ピアノの上を指が走るのを見ていたって面白くも何もないのではなかろうか。いやそれとも、それは偏狭な理解だろうか。もしかしたら、そういう眼球にとっては、ピアノの上を走る指、その見た目のあれこれが芸術的に感ぜられ、いわゆる第六感の開発に成功しているのかも知れぬ。だがそうだとしても、その感性は私の想像にはどうしたって及ばぬことだ。それにそもそも、多くの楽器演奏者は鍵盤や指盤を見ずに演奏するのではないか。だとすればやっぱり、音楽家の眼球は退屈ではなかろうか。いやいや、むしろ彼らは楽譜そのものから美しさを感受するのやも知れぬ。誰か高名な音楽家が言っていた気がする、音楽の演奏は手段に過ぎず、思想や芸術性は譜面に内在しているのだと。本当だろうか? 私には判らぬ。少なくとも私は譜面自体を美しいと思ったことがない。やはりその感性は私の想像に及ばぬ。
 逆に、絵画や絵画の鑑賞を得手とする宿主の眼球は羨ましいと思う。我が宿主は絵を観ない。描くのも下手だ。文章を読んでくれるのは有難いが、もう少し興味の範疇を広げてほしいと思うのは高慢か。与えられた環境で生きるしかないので、私は文章から情景を想起するよう努めている。これは私の想像力で十分可能なことである。最近彼女が読んだ本の中では『赤毛のアン』の情景描写が特に秀逸で、私は行ったことも見たこともないプリンスエドワード島の静かなる夜明けを、まるで少女アンの眼球にでもなったかのように思い浮かべることができるのであった。こういう本を読み続けてくれる限りは、宿主が視覚芸術に興味がなくてもどうにかやっていけそうな気がする。
 

2.

 宿主が高校生になった時、彼女はカラーコンタクトレンズを付けたがるようになった。おまけに多感な彼女は日記を付け始めた。今まで宿主とはずっと共にあったものの、彼女がここまで赤裸々に己の情感を文字に綴ることはなかったので、大層興味深かった。
 彼女は以下のように綴っている。昔から変わらぬ可愛らしい丸文字である。
「お母さんは本当にうざい。だいたい黒目が小さい私を産んだのはお母さんだ。だからカラコンを買ってくれるべき。そうやって責任を取るべき。お母さんのせいでブスって言われるんだから。お母さんがそこまでケチなら私は同じカラコンを毎日だって付けてやる。そのせいで目の感染症になって失明したらさすがにお母さんも後悔するに決まってる」
 何と我が宿主は、私の風貌が気に入らないらしい。小さい黒目で悪かったですねと私までふてぶてしい気分になる。それで私の見てくれを良くするために彼女はカラーコンタクトレンズが欲しいのだ。恐らくカラーといっても、彼女が欲しがっているのは黒か茶色のそれであろう。何も目玉を青や緑にしたいのではなくて、ナチュラルにそれとなく大きな目にしたいのである。ナチュラルメイクが流行っているのは私も良く知っている。宿主がスマホで見るファッション記事はナチュラルとかゆるふわとかいう言葉で溢れている。私自身はどちらかというとバブル期のようにいっそ清々しいほど鮮やかに飾りたてたメイクアップが好きだが、そんなことは我が宿主の知るところではない。
 それにしても彼女の母親が気の毒である。彼女は瞬間接着剤を目に入れた自分のために懸命に病院を探し搬送した母親の情を忘れたのか。あの時の母親の行動無くしては本当に失明していたかも知れぬのである。なんたる恩知らずか。カラーコンタクトレンズが眼球に悪影響を与える事実はしばしば報道されている。それを母親が買い与えようとせぬのは当然ではないか。こんなことで娘の日記に恨み言を書き散らかされるのでは母親も浮かばれぬ。
 こういうつまらない出来事を目にする都度、私は眼球に生まれ落ちて良かったと心から感謝するのである。私はいくら黒目が小さかろうと誰にもブスなぞと言われないし、結婚だとか子育てのような面倒なことは何もせずとも良い。私は眼球であり、何かを見つめているだけでレゾンデートルが保証される。レゾンデートルは最近我が宿主の読んだ小説に出てきた言葉で、フランス語で存在理由という意味らしい。彼女も無茶なことで親と喧嘩する割には小難しい言葉の出てくる本を読んでいるので見ている分には面白い。
 我が宿主は接吻するときに目を瞑る。これが分かったのは彼女が齢十八にもなってからである。彼女は或る人間の男性に恋をしたらしい。彼女と同じ学校に通う男子学生である。彼女はその男と頻繁に会うようになった。その男は彼女の手を握ったり腰に腕を回したりするようになった。人気のない場所で隣り合って座っては互いに見詰めあったりもする。私は特にその男に興味があるわけではないので目のやり場に困る。
 飽きもせず見詰めあう二人は、たまにそのまま顔を近づけあって接吻する。その時に我が宿主は決まって目を瞑ってしまうので、私は視界を失う。どうして目を瞑るのか私にはてんで分からぬ。そもそも私には唇がないのでどうして接吻したくなるのかも解らぬが、接吻が彼女たちにとって何やら重要な意味や感覚を持つことは既読の文献から承知している。そんなに大切ならば尚のこと目を瞑っては詰まらないではないか。しかし彼女は接吻するとき常に目を瞑っている。
 私にはそれが彼女に特異な性質なのか、それとも人間は一般にそうする傾向があるのか、見当が付かない。もしかしたら人間一般は目を開けて接吻するのが当然で、彼女だけ変則的な振る舞いをしているのかもしれない。いや逆に、人間一般もやはり接吻するときは目を瞑るのが当然で、彼女も当然に振る舞っているに過ぎないのかもしれない。彼女が特異でも普通でもどちらでも構わないから、とにかく目を開けて接吻してくれればいいのにと私は願う。目を開けてくれさえすれば、彼女が変則的に目を開けて接吻しているのか、それとも当然の振る舞いとして目を開けて接吻しているのか、私は比較的容易に判断できるだろうに。不確実性というのは歯を持たぬ者にとっても非常に歯痒い。シュレディンガーの猫箱を外側から眺めているような気分だ。
 悲しいかな、私が今まで目にしてきた文章は、シュレディンガーの猫については教えてくれたけれども、人間が接吻の際に目を瞑るかどうかは教えてくれなかったのである。 もし私以外の眼球にとって、接吻する瞬間に相手の眼球と視線を交わすことが当然で、私だけそれを経験していないとしたら、それは何だか興ざめである。もし我が宿主が接吻の際に左目だけを閉じるのだとしたら――つまり私の側の瞼だけ下げるのだとしたら――それだってあり得ないわけではない。いやいや、我が宿主どころか、人間が一般に接吻の際は左目だけ瞑るのだという可能性も、私には排除できない。ああ好奇心のあまり涙腺が緩んでしまいそうだ!
 さて、十八歳の我が宿主は、最初は当の男と楽しそうにしていたが、そのうち疎んじられるようになって、二人は随分と揉めた。彼女の携帯電話は、「嫌いになったわけじゃない」「受験勉強に集中したい」「別れるのは辛い」といった月並みな文句をその男から受信した。「恋愛は勉強の邪魔にはならない」「一緒に頑張ればいい」「受験が終わったらもう一度」というこれまた月並みな文句を彼女は男へと送信した。どうせ彼奴は我が宿主に飽きただけに違いないのに、彼女はあくまで愚直に反論するから痛ましい。どうしたって人間は好き勝手に他人を好いて、しかもその相手を排他的に我が物にしようと懸命なのだろうと、私は哀れな我が宿主の状況を憐れみながら思案するのだった。
 私だって何かに執着することが無いわけではない。他の眼球の黒目の美しさに息を呑んだり、瞳の帯びる憂愁に架空の心臓がどきりとすることもある。しかし私は他の眼球に語りかけることはできない。どの眼球がどんな思いを馳せているのかも知りようがない。当然、他の眼球と排他的に関係を結ぶこともない。そんなことを望みすらしない。結局、他の人間を排他的に手に入れたいというのは、人間が編み出した偏狭な欲望なのである。人間とその社会が呼応しながらその偏狭な欲望を錬成して、それでもって自分たちを束縛しているのである。人間よ眼球に戻れ、と私は冗談めかして言いたくもなる。眼球に戻れば気楽だ。腫れた惚れたは勿論、受験勉強も就職活動も悩みにはならない。家庭も老後も気にしなくていい。
 ひとつ気になることがあるとすれば、他の眼球も私のように思考するのかどうか、だ。人間一般が接吻の時に目を瞑るのか開けるのか分からないのと同様に、眼球一般が思考するのかどうか、私には知るすべがない。いくら他の眼球を見詰めても無表情だ。私自身にも表情はない。声もないし字も書けない。だから知りようがない。私たち眼球一般が孤独な環境にあるだけなのか、それとも私だけ孤独な自我を有しているのか。考える葦が人間ならば私だって人間だ。透明人間だ。思考する眼球は透明人間なのだ。 眼球一般は透明人間なのか。それともこの世で透明人間なのは私と植物人間だけなのだろうか。
 

3.

 私が眼球であった間に起きた最もドラマティックな出来事は、白内障の手術であった。
 視力が落ちてきたのは我が宿主が齢七十を過ぎた頃である。我が宿主は幸運にも近眼も乱視も経験せず、柔軟で健やかな毛様体筋を維持してきた。これに関しては彼女の体質や遺伝によるところもあろうが、眼球にとって不摂生となる生活を避けてくれた彼女の努力によるところが大きかろう。私は感謝せねばならない。
 それでも我々は老いから逃れることはできなかった。彼女と私は漸進的な視力の低下を経験した。水晶体が濁り、光が白く散乱する。彼女が手にした診断書を見るに、どうも私の方が右の眼球より症状が進行しているようだ。どうも昔から、どちらかといえば私ばかり災難を経験している気がする。 彼女が瞬間接着剤を目に入れた時も右の眼球は無事だった。
 結局彼女は右の眼球はそのままに、私だけ切開してレンズを入れ替えることにしたらしい。私は一抹の不安を覚えた。私には、私なるものがどこに宿っているのかよく分からないのである。もし水晶体が人間でいう脳のような役割を果たしていたとしたら、私は謂わば脳死のような状態に陥るのではないか。私は動揺した。しかし、私がいくら恐れようが動揺しようが、当然我が宿主の知ったことではない。彼女は現代の進歩的な医療技術のおかげで問題なく視力を取り戻すであろうから、手術を受けることに関して怖がりも躊躇いもしなかった。
 斯くして我々は手術の日を迎えた。あの日瞬間接着剤を剥がしとってもらってから何年が経ったろうか。私は再び手術室の天井を見上げ、 マスクをした無表情な医師の顔を見た。ああ人ならねど儚き人生であった。生まれながら徹底的に受動的な生であった。私の外的振る舞いの全ては我が宿主の行動によって決定されていた。子供の時分から見守ってきた彼女には強い愛着がある。透明な瞳に無鉄砲な好奇心を溢れさせていた幼年時代、眼球のことも母のことも顧みず容姿に固執していた反抗期、他人に激しく恋愛し熾烈な視線を交わしあっていた娘時代……走馬灯のように我が宿主の人生の光景が思い起こされ、恥ずかしくも泪を溢れさせそうになるのであった。いつの間に彼女は頬に皺を刻み、髪の毛を白くし、瞳を濁らせたか。 
 医師は麻酔やその他の薬剤を私に振りかけた。 そしてメスを私の角膜に走らせ、水晶体を粉砕し取り出した。私は呼吸器を欠きながらも息を詰めて最期の時を覚悟してみたが、とりたてて自我を失うなどもなく拍子抜けした。やはり水晶体に私なるものが宿っていたわけではないらしい。ただし一時的に視界は失われ、世界は真っ白な光に包まれた。医者が新たなレンズを挿入している最中であることは予想がついたが、それにしても奇妙奇天烈な無感覚であった。瞼を閉じているだけの状況とはまるで違う。あたかも魂だけ眼球から抜け出して、真白の世界を浮遊しているかの如くであった。
  そして次に視界を取り戻したとき、清冽な世界が現前することに少なからぬ感動を覚えた。知覚の能力を回復した今、改めて世界は隅々まで精緻であった。我が宿主の顔には思ったより多くのシミや皺があり、我が宿主の自宅の床や窓は思ったより汚れていた。彼女は鏡を覗き込んでは顔をしかめ、汚れを発見しては執拗に掃除するが、しかし一方の私は細やかに知覚する純粋な悦びに満たされていた。シミや皺や汚れを不快に思うのもまた彼女をはじめとする人間の思い込みに過ぎない。
 折角視力を回復したのに、我が宿主が一生を終えたのはそれから間もない頃であった。彼女は脳卒中を起こしてあっさり逝ってしまった。私はその一部始終を見ていた。彼女は瞼を閉じないまま意識を失ったのだ。だから彼女の夫が彼女を発見するまで、私は窓の外を見詰めていた。冬の陽射しが柔らかく降っていた。日本人女性にしては少しばかり早い死であったかもしれないが、七十も八十も大した違いはないだろう。私は穏やかな悲しみに浸った。私が多少なりとも愛した人間がいたとしたら、やはり我が宿主であった。
 そのうち壊れたテレビのように、視界が砂嵐に覆われて瓦解していった。循環器系が動きを止めて、眼球の機能も失われつつあった。視界が完全に途切れたとき、水晶体を取り除かれたときの感覚とそっくりだと思った。あの時は無秩序な光に包まれた真っ白な無感覚だったが、今度は井戸の中に沈みゆくような真っ黒な無感覚だった。
 そして自分がまだ思考しているらしいという事実に気付いて困惑した。
 結局私は眼球だったのか、今でも分からない。私はただ今も思考しているのみである。真っ黒な無感覚の中で感覚の思い出に浸っている。私のような私が他に存在するのかも未だに謎である。あなたの眼球にも私のような私があるのかも知れないことについて、できれば考えてみて欲しい。私にとってそういった存在が不可知だが否定不可能であるのと同じように、あなたもあなたの眼球におけるその存在を知り得ないが否定できない。その蓋然的存在は、気楽なれども避けがたく孤独である。たまに労ってやると喜ぶかも知れない。いやいや、「寂しくない?」と紙切れにでも書いて問うてみたら、蜜の味を知ったその存在は、ひょっとすると気を狂わせてしまうかも知れない。
 すべての思考する天涯孤独の眼球あるいは任意の透明人間へ、この思念を捧げたい。
(了)

崖に寝る

1.

 車は山道を走っていた。運転するのは見知らぬ男で、私は助手席に座っていた。旅をしているのである。男は運転席の窓を開けていて、車のスピードに合わせてそこから風が強く吹き込んできていた。助手席側の窓は閉めていたが、私の髪の毛は一貫して激しくはためいていた。
 ラジオが受信する周波数を見失って以降、エンジンの低い響きと車体が風を切る音しか聞こえなかった。私も男もステレオをいじって気の利く音楽をかけるようなことはしなかった。男は的確にハンドルをさばいてカーブの多い道に車を走らせた。道のところどころは崖に面しており、操作を誤ると危険だったが、男は臆することなかった。私は一定の加速度を継続的に感覚していた。
 不意に、左手に道路に迫る崖を残したまま、景色は右手に向かって大きく開けた。道路は相変わらず高い標高を維持して走っていたが、右方の眼下にくすんだ風合いの青っぽい海が見えるようになった。左手には暮れかかる空に向かって崖がそびえ、右手には底のしれぬ海に向かって崖が落ち込んでいる。崖にへばりつく薄い道路を男と私は走っているのである。
 日は暮れかけているのに赤みを帯びず、空は青から黒へと直線的に暗さだけを変えているようだった。
「そろそろ今夜寝る場所を見つける必要がある」
 と私は男に向かって言った。
「間もなくその場所に出るので心配は要らない。見えてきた」
 左手は相変わらず切り立った崖だったが、右側の景色の崖が異様に変貌していた。どうやら男は、この異様な景色の場所を寝床として選ぶらしかった。
「おかしな景色だろう。すべて人工的に造成されたんだ。一昔前に、金を余らせた石油会社が、日本中の特徴的な崖を一か所に再現しようと言って。馬鹿げた思い付きだが、金持ちの余興だ。関係の深かったゼネコンに外注しで、いくつもの崖をコピーして、海岸を見渡す限り奇妙な地形で埋め尽くそうとした。しかし――」
「埋め尽くされてはいない」
 と私は右手の景色を見渡しながら言葉を引き取った。彼は路肩の辛うじて広い場所を選んで車を停めた。
「その通り。途中で資金難に陥ったんだ。予想されていたよりもこのあたりの石質が脆く、それを補強する所から始めなければならなかった。それにご覧のとおり、ここらには一本の細い道路しか走っていない。建築物資を運び込むのも効率が悪くコストがかかった。それに建設が始まって間もなく、石油は供給過剰で暴落し始めた。石油会社は資産を早急に引き上げる必要があって、ここは当然真っ先に切り捨てられた」
 私たちは一抱えの荷物とともに車を降りた。男は「万に一つも必要性はなさそうだが、念のため」と言いながら車のドアをロックした。
 私はその異様な光景を見下ろした。なるほど見渡す限りの人工地形というわけではない。しかし一部分であれ、この巨大な崖が人造であることは俄かに信じがたかった。不気味さを感じて私は身震いした。建設のために死者は出なかったのかと私が訊くと、そんなに昔の話ではないと彼は否定した。労働者の安全管理が、既にある程度うまく機能するようになってからの話だ、と。
「そこの崖の上に窪みがあるだろう、そこで寝よう。テントを立てるほどの場所はないが、気候がいいので寝袋だけで問題ないだろう。雨も降らないそうだ」
 と男は言った。突飛な提案だったが私は従順だった。我々はその窪みに寝袋をふたつ並べ、その中にそれぞれ収まった。男が海側で、私が道路側だった。私は寝ころんだまま、男の顔越しに遠くの水平線を見た。まだいくらか光は残っていたので、空と海の境界は識別可能だった。しかし間もなく十分な光はなくなり、両者は一体に見えるようになるだろう。
 もし何かのはずみで海に落ちるとしたら男だけだ、と私は思った。私は寝返りしたとしても道路にはみ出るか男に阻まれるかのどちらかだ。道路にはみ出たとしても車に轢かれる可能性は低い。さっきから往来は全くなかった。しかし男はひとたび海側に寝返りでも打とうものなら間違いなく滑落し、崖に身を打ち付けながら落下し、激しく海面を打って、恐らく誰にも発見されないまま海洋生物の養分に成りはてる。
「車で眠った方が安全ではないか」
 と私は仰向けになって宙に視線を泳がせながら提案した。かなり暗くなったが視界の中に星は無かった。
「落ちることを心配しているのならば、私は寝相がいいので問題ない。それにこんな場所まで来たのに狭苦しい車の中で寝るより、ぜひ景色に身を預けたいじゃないか」
 海側から淡々とした返事が返ってきた。
「こんないびつな景色に?」私は眉をひそめた。
「そうやっていちいち主観的な感情を募らしていては旅は楽しめない。面白いじゃないか、気の遠くなるような時間をかけてエネルギーが蓄積された化石燃料の所有権を押さえて、汚染した地球の大気に対して何の対価も支払わないままぼろ儲けした連中が、その金を使ってやはり気の遠くなろうような時間をかけて造成された大地の芸術を複製しようと試み、しかし結局その技術もなければ金も足りずに諦めてしまうんだ」
「その高慢さ、思い上がりが不愉快だ。それに、そんな茶番を演じたからには、きちんと地形を元に戻してから去って欲しい。あまりに不自然が過ぎる」と私は反論した。
「あなたは随分確固たる価値判断の基準を持っている」
「健全な価値基準を」私はむっとして付け加えた。
「あるいはそうかもしれないが、果たしてそうかな。ともあれ、例えば英国の、大英博物館でも何でもいいが、古い博物館に行ったとする。そうするとそこには美しい装飾の施された巨大な岩の塊や大木のモニュメントが所狭しと並んでいる。当然ながらそれらは、大英帝国の華やかなりし頃に分捕ってきた、エジプトやシリア、ギリシアやローマの歴史が生み出した比類なき資産だ。その資産ストックは今でも英国の旅行収支の黒字化に大きく貢献している。あなたはその暴虐に憤るかも知れない」
 私はイエスともノーとも言わなかった。
「しかし私はそういう言うなれば暴虐な博物館を見てこう思う、この博物館は何かを展示しているつもりでいるのかも知れないが、もはや博物館の営みそのものが歴史の物語を孕んだ見世物だってね。かつて栄華を極めた文化が衰退したころ、力にものを言わせてその資産を略奪して、そこから毎年毎年儲け続ける。とんだ優良資産だ。だが、資産が儲けのフローを生まなくなる時代くらい簡単にやってくるだろう。そうしたらあの優良資産は一体どこに流れていくだろう、だなんて考えてみるのは楽しいものだ。そういった過程の一場面を象徴的に見せているのがあの威張り散らした博物館だ、なんて愉快な見世物なんだ、と」
「それと同じように、ここの景色も愉快である、と」私は言った。
「その通り。だからこの愉快極まる景色に身をゆだねて眠ろうじゃないか」
「あなたが崖から落ちたとしてもあなたにとっては愉快なようだ」
 男は軽く笑った。
「ご明察、まったくもってその通り。もし眠った後に落っこちるなら、絶対に死ぬ前の瞬間に目を覚ましたいと心から願う。命綱もなしに崖から落ちるなんて後にも先にもないことだろうから。あなたはそうは願わないかもしれないが」
 それからひとつ欠伸をして、もう眠った方がいい、と男は言った。おやすみなさい、と私は言った。眼前に広がる夜空には相変わらず月も星もなかった。隙間なく星が輝くきらびやかな夜空の下ならば男の言ったことに同意しやすいかもしれない、と私は思った。しかし闇は無表情に私と男を奇妙な景色の中に閉じ込めていた。私が彼を突き落としたら彼はもっと愉快がるだろうか? しかしそんなことを実行するには私の価値判断の基準は健全が過ぎるようだった。

2.

 眠りは浅く、途中でうっすらと目を開けると眼前にひらける空は黒々としていた。
 ほとんど光は無かったが、左手の寝袋の中で眠っているはずの男が半身を起こしていることに気が付いた。黒い男の影と黒い空の背景のあいだの薄い輪郭を辛うじて私は目にしていた。男は自分の寝袋のファスナーを完全に開けて、その上に胡坐をかき、私に向き直った。私を見下ろしている。その瞬間、これは明晰夢だ、と私は悟った。そして非常に愉快な気分になった。
 私は注意深く夢の展開を見守った。 風は凪いでおり、男の息が顔にかかった。気温は人肌のように温く、全身を包む寝袋の中はぼうっと心地よく熱かった。岩肌の上に直接寝袋を置いているはずなのに、凹凸が背中に刺さることもなく、体重はバランスよくなめらかに分散して支えられていた。耳を澄ませると、男と私の呼吸音の他に、崖下はるか遠くの海が満ち引きする静かな音が聞き取れた。その音を感知したあとで、空気に少しばかり潮の匂いが混じっていることに気が付いた。
 男は胡坐をほどいて、私の横にひざまずいた。そして私に手を伸ばし、私の寝袋の、首元とふくらはぎ辺りを覆っている辺りをそれぞれの手で握りしめた。男は息を止めて、一気に私を持ち上げた。そしてその勢いのまま180度回転し、私を海に向かって放り投げた。
 ああやっぱり! 寝袋に包まれた私の身体は一旦浮上したものの、すぐに放物線にしたがって落下を始めた。 背筋がひやりとする感覚とともに身体は重力から解放された。崖の陰に入るといよいよ暗く、目には何も見えない。耳の横を切る風の音だけが段々と大きくなり、潮騒の音はあっけなく掻き消えた。温い空気も絶え間なく速さを増しながら頬を煽るので冷たい。近づいているはずの海の匂いはどうしてか感覚できない。
 ふと足先が何かに触れて、高速で落下する全身に衝撃が走った。足先が触れたのは岸壁の凸になった部分に違いなかった。予想できたことだが、岸壁は垂直に海に下りているのではなく、ところどころ張り出したり凹んだりしているのだ。間もなくして、足先のみならず全身を岸壁に打ち付けた。全身に激痛が走り、私は目を覚ました。私は元通り、崖の上で寝袋に収まって横たわっていた。夢を見る前よりも汗ばんでいた。
 再び薄く目を開けると、やはり再び、予定調和的に男は半身を起こしていた。そして先ほどと同じように、男は自分の寝袋のファスナーを完全に開けて、私を見下ろしながら、自分の寝袋の上に胡坐をかいていた。私は夜空に微かに光が差し始めていることに気が付いた。男の影は僅かながら比較的明瞭に見えるようになっていた。
 男は胡坐をかいたまま私に手を伸ばし、首元から私の寝袋のファスナーを下ろしていった。寝袋の中に滞留していた体温で熱せられた空気から皮膚は徐々に解放されていった。汗ばんでいた首元には人肌の空気すらも涼やかに感ぜられた。首、肩、胸、腕、腹、臀部、脚、くるぶし、つま先、と緩やかに寝袋は取り払われていった。額に張り付いていた髪の毛がふくんでいた汗も乾いて、一部の髪の毛は耳の方へぱらりと落ちてきた。
 男は身を乗り出して私の肩を揺さぶった。
「眠ったまま落としても良いかと思ったが、やはり起きていた方が愉快だろう。目を覚ました方がいい」
 男の言葉に応えようかどうか、私は迷った。
「それに、眠っている人間を抱えるのは、起きている人間を抱えるよりずっと厄介だ。腰をやられる」
 狸寝入りを続けても良かったが、私は好奇心から自ら半身を起こした。すると寝袋の生地を離れた背中にもまた空気が触れた。私は遂に身震いした。汗が急速に身体を冷やしていた。
「よし、起きたな」
 男は満足げに言った。空は青白く変色を始め、私は微笑をたたえた男の表情を見て取ることができた。
「膝を曲げてくれ、そこに腕を通すことができるように」
 男の指示に従って私は脚をすくめた。男は胡坐をほどいてひざまずき、私の膝の裏と肩の下に腕を通し、立ち上がった。遂に全身が寝袋を離れて、全身の体表から気化熱が奪われ始めた。私の身体は不随意にがたがた震えた。
「恐れる必要はない」
 と男は私の顔を見下ろして言った。恐れているわけではない、と私は男を見上げて言い返した。男はあくまで楽しげに、薄い唇の端で微笑んでいた。
 男は崖の端に立って、海の方向を向いて、再び私の顔を見下ろし、「それでは」という一言と同時に私を宙に放った。淡く光の散乱する空に身体が接近していったのは束の間で、すぐに身体は落下を始めた。落下のあいだ空を仰ぎ続けていると、空の色の変化を感知できた気がした。空気が皮膚を切り、体温はますます奪われた。耳元の風はますますクリアに耳朶を打った。このまま風に溶けてしまうことができたらこの上なく快楽的だろう、そう思った瞬間に、身体は激しく打ち付けられた。崖ではなく海面に私は到達していた。飛沫に視界がかすみ、暗い色をした海水に角膜が覆われた。不思議なことに身体は海面に浮かび上がることなく、錨のように海中をまっすぐ沈んでいった。すぐに再び視界は暗黒に覆われ、海水温はますます下がり、手足がしびれて感覚を喪失した。
 冷たい海水が私をなめらかな海底に横たえたとき、私は目を覚ました。私は相変わらず崖の上に横たわっており、夜はまさしく明けようとしていた。ひどく寒くて震えが止まらなかった。ふと見ると自分の寝袋のファスナーは完全に開放され、首といい脚といい夜明け前のきりりと冷えた空気に晒されているのだった。私は胸の奥深くまでその空気を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。長い夢のあとの倦怠感が私の身体に馬乗りしていた。

3.

 私は強ばった半身を起こした。それから震える体に寝袋を掻きよせた。ふと海に目をやると、水平線の一点から強い光が放出されていた。曙光である。
 私の隣に男の姿はなかった。
 それに気が付いた途端、私は明晰に夢想した。男が高らかな笑い声とともに空を切る様子を。彼のことだから真夜中ではなく、空の白み始めた頃に落ちたのだろう。落下しながら、空と崖の境目を仰げるように。彼は恐らく、長すぎる夜に退屈したのである。可哀想に、私と違って夢を見ることができないのだ。それで彼は寝袋のファスナーをみずから下ろして、冷たい夜気に体を曝しながら、無重力の愉悦を堪能したのだ。
 私は困惑した。というのも、車のキーを男が持っていたからだ。念のため、と言って彼は車をロックした。念のため? それはつまり、万が一彼が崖から落ちることを選んだとき、私の行き場を奪えるように? 私はここがどこなのか全く知らなかった。ただ長いあいだ男の車に乗って来ただけだった。人の居住地域から大きく隔たっていることは確かだった。歩いてどこかに辿りつくことは不可能に思われた。
 今や崖下は私を強烈に誘惑していた。 夢の中で二度も落下したせいで、その悦楽の味を覚えてしまった。あの男め、と私は毒づいた。毒づきながら、崖の縁に接近した。その淵を手指で掴み、身を乗り出した。改めて、目の眩むような高所である。いよいよ海面は朝日を受けて燃え立っていた。燃え立つ海面から煙が上がるように、淡い霧が浮かんでいた。状況は夢よりも輪をかけて蠱惑的であった。
 誘惑されながらも、私は迷っていた。 何せ私の価値基準は善良が過ぎるのである。海の誘惑は明らかに悪魔の囁きであった。善良なる規範に従って私はこれを振り切り、先の見えない山道を彷徨って、街に戻るよう努めなければならなかった。それが真っ当な振る舞いであった。
 それでも私はますます魅了され、崖下に身を乗り出し、 灼けつく海面を眺めた。強い光は私の目を射って、視界にいくつもの緑色の残像を貼りつけた。私は重力からの解放と空気を切る爽快さを思った。あと僅かに体の重心をずらすだけで、それは本当に体験できるのである。しかも、そうしたらば、もう二度と街に戻らずとも良い。
 不意に、音もなく、誰かが後ろから私の背中を押した。それによって私の身体の重心は僅かにずれて、私は水泳選手がプールに静かに入水するように滑らかに、ふわりと宙に浮いた。

 全身に恍惚が駆けめぐるなかで、私は遠くにエンジン音を聞いたかも知れない。 

 

(了)

 

でたらめでよじれた旋律には、他ならぬ私自身の記憶が生臭く染み付いていた

1.

 2015年5月19日の出来事である。バラク・オバマが初めてツイッターに投稿し、エリザベス老女王がアンネフランクの収容跡地を訪問し、橋本元知事が大阪都構想で敗れた頃らしい。しかし世界の動向も日本の動向も知る由もなかった。インターネットも電話番号も使えず、テレビも新聞も見当たらない場所だった。
 私は黒パンにレバーペーストのようなものを伸ばし、黄パプリカとチェダーチーズを乗せて電子レンジで温めたものを食べ終えたところだった。朝食にしてはいささか匂いのきつすぎるメニューだったが、他に手持ちの食材がなかった。コーヒーを飲もうとしたがドリッパーもフィルターもなかった。私はコーヒーの粉を直接マグカップに掬い入れ、ポットにお湯を沸かして注いだ。イギリスのチチェスターという田舎町の老夫婦に教わった飲み方である。これがイングランド流だ、と白くて硬い髭を生やした温和な老人は言っていた。
 粉入りコーヒーを片手に、広々とした談話室の籐の椅子に膝を抱えて座っていると、旅人のくせに、この土地を去ることを惜しむ心持になるのだった。酷寒の地に佇むこの宿屋はフリーザー・ホステルというふざけた名前を冠していたが、その茶目っ気は家具や調度品の選び方にも表れていて、他の場所にあってはガラクタでしかありえない物たちが散らかるようにして生気を得ているのだった。中でも、壁に立てかけてある、グランドピアノの弦が張られた剥きだしの板が気に入っていた。板や留め金はところどころ歪み、何本かの弦は切れたり絡まったりして発声の能力を失していた。床に胡坐をかいて、錆びかけた弦を爪弾きでたらめな音を出すと、その調べは忘れられたガラクタそれぞれの記憶を混然と代弁しているようだった。壁や棚に引っかけられた物言わぬ網も浮きも錨も、かつては屈強な漁師たちと共に轟々と荒れる海を渡ったに違いなかった。
 玄関の扉が開き、ホステルのオーナーが入ってきて、ひどい天気だと言った。5月だというのに雪が強風に舞っていた。周囲を散策できるだろうかと訊ねると、無理だろうが、隣町のオラフスヴィクには小さな博物館があるから行ってみればどうかと彼は提案した。ほんの5kmくらいしか離れていないので、車で行けばすぐだろう。私はリュックサックの中からありったけの衣服を取り出して身に付けた。リュックサックが空っぽになると、その中に筆記用具と本と地図と水着と傘を放り込んだ。友人に送る予定の絵葉書を手袋をした右手に握り、意を決して私は荒天の中に踏み出した。
 そこは人口120人の漁村だった。その前日、ドイツ人の青年が車に乗せてくれたとき、宿泊している村について話をすると、じゃあ今その村の人口は121人じゃないかと彼は冗談を言った。正確には、と私は笑いながら付け加えた。2人のアメリカ人と1人のフランス人も泊まっているから、村の人口は124人。
  人口124人の漁村のホステルを出て、小さな港の方に少し歩くと、村唯一のスーパーマーケットの前に村唯一の郵便ポストがあるのだった。こんな場所でもポストは赤い。かじかむ手で、日本列島に宛てた手紙を何通か投函した。投函する瞬間にも葉書が風に攫われてしまいそうだった。
 芯まで凍える前に車に乗せてくれる人を見つけなければならなかった。この地域一帯の交通はすこぶるシンプルで、西に張り出した半島の周囲にぐるりと幹線道路が巡らせてあり、すべての自動車はその道路を時計回りに走っているか反時計回りに走っているかのどちらかだった。私は時計回りに走っている車を見つけさえすればよかった。ドライバーの機嫌が余程悪くない限り、殆ど50%の確率でヒッチハイクは成功した。
「すみません、オラフスヴィクまで行きたいのですが」
  おんぼろの軽トラのドライバーに、私は地図を見せながら声をかけた。朴訥と喋る老人で、車内からは生魚の匂いがした。漁師だ。彼は地図を一瞥して、乗りなさい、と言った。後部座席に乗ると生魚の匂いはさらに強まった。バックミラーに小さな男の子の写真が挟んであった。まるで証明写真のように、あどけない男の子が真正面を向いて写っていた。お孫さんですか、とはとても聞けなかった。 

2.

 雨風はいよいよ吹き荒れた。フロントガラスに雨粒が衝突して大きな放射線状の紋様を描いていた。右手に小さな黒い岩の斜面が現れて、そこには白糸のような滝が流れていたが、あまりの強風に細い滝は途中で吹き飛ばされて空中に消失していた。対向車の少ない荒れ模様の道路を突っ切って、10分足らずで私たちはオラフスヴィクに到着した。彼は町の観光案内所の前で私を降ろした。礼を言うと彼は黙ったまま軽トラを発進させた。私は急いで案内所の中に入った。部屋の中の暖気に寒さで強ばっていた筋肉が一気に弛緩した。
 観光案内所といっても、小さくて小綺麗な事務室のような場所だった。白い長机やホワイトボードに多くのパンフレットや地図が陳列されていた。別の白い長机の周りで何人かの若い男女が座って歓談していた。学校の休み時間のような風景だが、彼らが観光案内所のスタッフに違いなかった。私はオラフスヴィクの無料観光マップを手に取った。教会と小さな博物館を訪ねる他に観光客がやることといえばバードウォッチングくらいのようだった。私は彼らのうちの一人に、教会と博物館の他に行くべき場所はあるかと尋ねた。今日は天気が悪いので、と彼は言葉を濁した。それに今日は教会の中には入れないし、博物館は休館日なんです、と彼は申し訳なさそうに続けた。教会の写真を撮るか、ホステルでゆっくりするのがいいと思います。もしくは、夕方にもし天候が回復すれば、町の小学校のサッカーの試合がある予定です。それを観戦するのも良いかもしれません。
 私はなおも地図を見つめて、市民プールがあることに気づいた。この地熱の島国には、温泉と温水プールが多く、利用料金も安いと聞いていた。市民プールは使えるかと私は尋ねた。使えますけど、観光客向けじゃあありません。そこに温水プールはあるかと私は尋ねた。屋内にも屋外にも温水プールはあります、と彼は答えた。私は礼を言ってきびすを返した。彼はすぐに歓談の輪の中に戻っていった。
 町自体がごく小さいので市民プールまでの距離もごく短かったが、傘も差せないほどの強風だった。私は重心を低く保ちながら歩を進めた。途中、観光地図が手を離れ、メジャーリーガーの豪速球のごとく吹き飛び、近くのフェンスに激突した。急いでそれを回収するとしわくちゃに傷んでしまっていたが、判読可能だった。市民プールらしき建物に到着したが出入り口が見つからなかった。幸運にも親子連れが車に乗ろうとしていたところだったので、入り口の場所を尋ねた。母親は親切に出入り口を指し示してくれた。私は言い訳がましく言った。天気が悪いので、他にやることがなくって。
 私は建物に入り、 料金を支払い、水着に着替えた。ロンドンの量販店で購入したいかにも安っぽい水着だった。シャワーを浴びていると、小さな子供たちがやってきて、母親にごしごしと体を洗われていた。日本のプールにも山ほど注意書きがあるが、このシャワールームにも体の洗い方を事細かに指示する張り紙がいくつも貼ってあった。体は水着を脱いで洗うこと。それは、と私は思った。確かに足下で駆け回る女の子たちは母親に水着を脱がされていた。私は白々しい気分で水着を脱がないまま、それでも念入りに体を洗った。その母親も咎めるような顔はしなかった。

3.

 ざらりとした床を踏んで私はプールサイドを歩いた。うっすらと塩素の匂いがする生暖かい空気に体表が包まれた。腕を組んでプールを監視していた痩せた男性が、申し訳ないんだけど、と私に話しかけた。申し訳ないだとか残念ながらみたいな言葉を今日だけで一体幾度聞いただろうかと私は思った。申し訳ないんだけど、一番大きなプールは水泳教室をやっているので使えない。脇の小さな温水プールと、それから――彼は言いよどんで窓の外を見やった。それから、屋外にも温水プールがあるので、良かったら。苦笑いして彼は言った。私も窓の外を見た。小さな女の子たちが高い声を上げて走り回っていた。あんなに小さな体が凍り付いてしまわないのが不思議だった。
 分かりました、じゃああちらの小さいプールを使います、と私は言った。といっても、小さいプールに先客がいないわけではなかった。恐らく知的障碍のある男の子たちが10人ほど水遊びをしていた。何人かの男の子はでっぷりと太っており、何人かの男の子は少年らしいしなやかな体つきをしていた。若くて大柄で引き締まった体をした男性が、プールの浅くなっているところに悠々と浸かって、男の子たちに話しかけたり水遊びの相手をしたりしていた。 入っていいですか、と私はその男性と男の子たちに向かって話しかけたが、英語を解するのは恐らくその男性だけだった。もちろん、と彼は言った。私はプールに入って腰を下ろした。プールの床に座っても首が出るほど浅いプールだった。
 男の子のうち何人かは私に興味を示し、私の知らない言葉で色々なことを話しかけてきた。他の多くの男の子たちは私に無関心だった。話しかけてくる男の子に向かって、 私は首を傾げたり微笑みかけたりした。私は自分が彼らを少し恐れていることを認めなければいけなかった。10人もの男の子とプールに入ったことはなかったし、10人もの知的障碍を持つ男の子たちに一度に会ったことがなかった。よく考えれば、外国人の知的障碍者にまともに相対したこともなかった。切断された社会に生きてきたのだ、と私は歯噛みした。私はかつて年下の子どもたちにやってみせたように、両手の指を組み合わせて犬の形を作って動かした。反応を注意深く見たつもりだったが、彼らにとってそれが面白いのかどうかよく分からなかった。
 そのまま緩慢に時間は流れ、その狭いプールに浸かるのにも飽きてきた。大きなプールではまだ水泳教室が続いているようだった。私は小さなプールの男の子たちに手を振って、プールサイドを歩き、外のプールに行きたいのですが、 と監視員に行った。寒いわよ、と競泳水着に身を包んだ監視員は言った。ええ、でも、温水でしょう、と私は言った。屋外では小さな女の子たちが相変わらずプールを出たり入ったりしていた。扉の横のグレーのボタンを押すと自動でドアが開閉する、と彼女は説明した。強風がしょっちゅう吹く土地なので、子どもたちが素手で扉を開閉するのは危険なのだ。
 グレーのボタンを押すとなめらかにガラスの扉が開き、濡れた体に冷たい海風とみぞれのような雨が吹き付けた。私は両腕を体に巻き付けるようにしてプールに浸かった。 温い水が体表の温度を多少保護したが、顔面と頭皮から明らかに熱が奪われ続けていた。ここもすぐに足の着くような浅くて狭いプールだったが、私は体を温めるために泳ぎ続けた。遊んでいた女の子たちはやがて去っていった。風は時おり柔らかくなり、時おり目も開けられないほど強く吹いた。冷たい雨も降ったり止んだりした。
 私はとにかく体を動かし続けた。一体自分は何をやっているのだろうと訝りながら。ここは、世界地図の隅に追いやられた極地の島国である。長い冬を終えようとしている極地の島国である。火山活動によって海底からせりあがって生まれたこの島の海岸線は長い。島の海岸線が西に突き出した最果ての町のスイミング・プールで寒風に煽られながら足掻いている。私がここにいることは殆ど誰も知らない。私のことを知っている人は私がここにいることを知らないし、私がここにいることを知っている人は私のことを知らない。私が今「私はここにいる」と私の言語で叫んだところで、周囲何十キロにも渡って私の言葉を解する者はいないだろう。私が今"Now I exist here"と便宜的な世界共通語で叫んだところで、周囲数メートルに存在する誰も関心を示さないだろう。私は孤独の愉悦に浸った。温水と冷気に文字通り生身をさらす私は赤子のように非力であり、完全に何者でもなかった。それはすべてのコンテクストからの解放だった。ふと、今朝投函した絵葉書のことを思った。表意文字で自分の名前を記したあの紙切れが海を渡って温暖な島国に到達することはとてつもなく奇妙だった。大丈夫だ、と私は自分に言い聞かせた。あれが到達するまでにはかなりの時間を要するはずで、あの紙切れがこの孤独を妨害するわけではないだろう。

4.

  やがて体力が尽きた。風雨が弱まる隙を見定めて温い水から体を出すと、冷気が肌を突き刺した。私は自動ドアまで駆けた。もしかしたらこのガラスの扉は外からは開かず、生身の肉体が力尽きるまで泳ぎ続けなければいけないのではないかと不安を感じた。しかし何のことはなかった、グレーのボタンを押すと扉は開き、私はガラスの壁の庇護のもとで体温を取り戻し始めた。監視員の何人かが私に笑いかけ、寒かったでしょう、と言った。寒かったです、とても、と私は答えた。
  大きなプールで水泳教室はまだ続いていたが、10人の男の子たちは去っており、小さいプールは閑散としていた。彼らの顔を思い出そうとしたが無理だった。誰一人名前も教えてくれなかった。私たちの間のコミュニケーションを阻んだのは、果たして言語の相違だけだったろうか? シャワールームはどちらですっけ、と私は監視員のひとりに尋ねた。屋内プールの中にいくつもある扉がそれぞれどこに通じているのか混乱していた。あちらだよ、と監視員が指差した扉に私はよろよろと吸い込まれた。
  シャワーから吹き出す温水の温度を皮膚に染み込ませるようにして、わたしは随分長い間シャワーを浴びた。皮膚はふやけて波打ち、爪は白っぽく変色し、髪の毛は塩素で軋んでいた。水膜の向こうに、体は水着を脱いで洗うこと、という注意書きが霞んで見えた。この国ではどのプールにもこれと同じ注意書きがあるのだろうかと私は訝った。もしこのシャワールームの中に、幼い乳児のような女の子から腰の曲がった老婆まで、高校の保健体育の教科書みたいに裸体が並んでいたらさぞかし滑稽だろうと思った。体は水着を脱いで洗うこと。私はシャワーを止めて、水着の上から水滴を拭った。
  ようやく服を着込み、鏡の前で髪の毛にドライヤーをあてると、髪はますます光沢を失い、青白い肌は温風を受けて痛々しく乾燥した。やつれた自分の姿を睨みながら、私のアイデンティティと私の風貌が殆ど連結されていないこの土地では、私は自分の風貌からも解放されているのではないかと思った。それでは体にずっしりとのしかかる疲労は? どうやら疲労やその他の感覚は相変わらず私に帰属し続けるようだった。難しいな、と私は思った。しかも、この後に及んで、自分の髪の毛には艶やかであって欲しかったし、自分の皮膚には滑らかであって欲しかった。ますます難しいな、と私は思った。私は何度か髪の毛を編んだり戻したりして、結局ヘアゴムで乱雑に縛った。これからまた荒天の中を歩かなければならないので、髪が吹き乱れて顔を打たないようにしなければならなかった。
  すぐさま車を拾って帰りたかったが、屋外で車を待てるような天気ではなかった。私はこの町で恐らく唯一のレストランに駆け込んだ。店内は閑散としていた。お好きな席へどうぞ。二階に上がると、数人の店員がソファに寝転んで談笑していた。私がやってきたのを見て彼女らが立ち上がろうとしたので、気にしないで、と私は言った。一階の席を使いますから。
  私はホットチョコレートを注文して雨が止むのを待った。粘つくような甘さが喉を伝った。あと何日この僻地にいるんだっけ、と私は考えようとした。3日? 4日? 飛行機が発つのはいつだったっけ? 今日は何月何日だっけ? 手袋をした手で本をめくるようなもどかしさで思考が停滞していた。努力してゆっくり飲んだが、マグカップはすぐ空になった。私が空模様を伺っている間に、レンタカーで観光しているに違いないグループが何組か、入ってきては食事をとり出て行った。私は地図を眺めたりノートに落書きしたりしながら時間を潰した。
  帰りの車を捕まえるまでには時間がかかった。残念ながら、と何人かのドライバーが繰り返した。1回目に断られる確率は50%、2回目も断られる確率は25%、3回目は12.5%、4回目は6.25%、と私は計算しながら寒さにたえた。ようやく乗せてくれたのは、ポーランド人の若い男性2人のおんぼろの軽自動車だった。私は後部座席に乗り込んだ。社交辞令を済ますと、男性2人は早口に聞こえるポーランド語で互いにずっと喋っていた。雨道だというのにものすごいスピードで、私は速度盤を盗み見て内心ひやついた。左手に見えてきた白い滝は今もなお途中で風に吹き飛ばされて消滅していた。そして間もなく今や懐かしい漁村を示す標識が見えてきた。彼らに十分速度を落とす時間があるよう、私は早めに言ったーーあの標識のところで、右に。
  フリーザーホステルの談話室は、壊れたピアノの破片だけでなく、電源につなげば使用可能な超旧式のエレクトーンも持っているのだった。奇遇にもそのエレクトーンは、日本の片田舎の祖父母のうちに眠っていた骨董品のようなエレクトーンと全く同じ型だった。元は叔母が使っていたエレクトーンで、私も子供のころよく弾いたものだった。こんな場所にまで古い記憶は追いかけてくるのだ、と私は困ったような気分になった。電源コードを繋いで電源を入れると、ブチッ、と大きな音が鳴った。ボードの上のプラスティックのつまみを弄って、ピアノの音色を作った。昔弾いた簡単な練習曲をスローテンポで弾いた。清い心。アラベスク。まず右手を、次いで左手をさらってからでなければ、両手でそれらしく弾けなかった。上手だね、とホステルのオーナーが入ってきて言った。いいえ、全然、と私は答えた。もう何年も弾いていないんです。スティリアンヌの女、バラード。それでも何度も弾き何度も聴いたおおよその音は覚えていて、不正確だが大体弾き通すことができた。胸の痛くなるような懐かしい音を鳴らしながら、エレクトーンは老婆のように私を諭しているのだった、結局お前はお前以上でも以下でもないのだ、と。つばめ、貴婦人の乗馬。25の練習曲を弾き終えると、私は思い浮かんだ曲を次々に弾いた。クラシック、Jポップ、ロック、フュージョン、ジャズの真似事。でたらめでよじれた旋律には、他ならぬ私自身の記憶が生臭く染み付いていた。正視せよ、お前はお前だ、とエレクトーンは遂に意地悪に嘲り始める。今くらい逃げさせてくれ、と私は顔をしかめるが、しかし私の指は拙く旋律を辿るのを止めない。今くらい全てを忘れさせてくれ、何者でもありたくないのだ、と私はなおも抵抗するが、海際の静かなホステルに、ピアノに似せられた電子音は静かに確実に浸透していく。ここに旅人がいる、何者かがいる、と声なき歌で語りかけている。
 
(了)

On Reversible Destiny

長かった夏季休暇は終盤を迎えていた。霧雨は降ったり止んだりを繰り返しながら、秋めいた冷気のヴェールを列島に段々と覆いかぶせていた。ふたつの季節の狭間で、海やプールに行く気にも読書や勉強に勤しむ気にもなれなかったが、何もしないと気が塞ぐのでバイトのシフトを多めに入れていた。大学近くのイタリアン・レストランで、つるつるとした四角いテーブルを布巾で拭い、テーブル・クロスの上に白い皿と白いナプキンを並べ、シルバーとグラスを曇りなく磨き上げるのが私の仕事だった。染み一つない完全なテーブル・セッティングを素早く成し遂げた時に押し寄せる穏やかな満足感には何だか中毒性があって、単調な仕事であるにも関わらず、かれこれ一年近く続けているのだった。

 私はその土曜日、夜半にまで及ぶバイトを終えて帰途についていた。傘に降り注いでもひとつも音を立てないような肌理の細かい雨が降って、環状線沿いの強い街灯の光を拡散させてぼうっと空気を照らし、バイトの制服の白いワイシャツと黒いスラックスは段々湿り気を帯びてきていた。私は次の日の朝食を何にしようか考えながら歩いていた。ホットケーキ・ミックスがあと一袋残っているはずだったが、或いは牛乳を切らしていたかもしれない。

 そのとき、目の前にイモリかヤモリのようなものが現れた。その爬虫類か両生類は、普通の寸法より一回りも二回りも大きかった。歩道を横切って走り去るのかと思いきや、それは私の目の前で通せんぼをして立ち止まった。

 それは最初、アスファルトと同じ黒色をしていた。しかし、私がじっと見つめているうちに極彩色に変化した。カメレオンだと私は気が付いた。

「月に秋はあるかねぇ」

 とカメレオンは言った。私はすっかり返事に困ってしまった。そのまま、私とカメレオンは並んで歩きだした。どうもそのカメレオンは私の自宅まで付いてくるつもりらしかった。

「何か召し上がりますか」

 私は尋ねた。

「ホットケーキが好きだなぁ」

 カメレオンは答えた。カメレオンの極彩色は、きれいに焼けた小麦とメープルシロップの色に変化した。最近巷ではパンケーキが流行っている。カメレオンにしては随分とミーハーだと思った。

「僕が好きなのはパンケーキじゃなくてホットケーキだ」

 カメレオンは反論した。

「聞いたところによると、パンケーキとホットケーキに明確な違いはないようですよ」

「全くもってそういう問題じゃないんだよ。全くもって」

 カメレオンは深く嘆息した。カメレオンにしては随分と度量が狭いと思った。

「まだ僕のことを何も知らないくせに、勝手にラベリングしないでくれないか」

 カメレオンはまた口うるさく言った。

 上京してこのかた数年間ひとり暮らしをしているアパートに到着した。カメレオンは短い脚を器用に使って、自力で五階の私の部屋まで階段を登り切った。

 部屋の扉を開けると、そこはカメレオンのごとき極彩色に溢れていた。今朝家を出たときは、白を基調とした大衆的ミニマリズムの模範のような部屋だったのに、壁も天井も様々な色に塗り分けられていた。床は九十九里浜のようなさらさらとした黒っぽい砂地に変わっていた。もともとの部屋は直方体の形をしていたのに、今は直線・平面と曲線・曲面の組み合わさった形をしていて、しかもかなり広くなっていた。

「これ、あなたがやったの?」

 私は極彩色に戻ったカメレオンに訊いた。

「さあね」

 カメレオンはお茶を濁した。

「脱いだ上着をしまう場所がないんだけど」

 私は文句を言った。クローゼットやストッカーがひとつも見当たらなくなっていたのだ。

「服なんか着るからだよ。僕は服は着ないね」

 仕方がないので天井から何本も吊り下がっていた金具のひとつに上着を引っ掛けた。

「あなたのことをカシオペイアと呼んでもいい?」

 私はさらに訊ねた。

「あんな喋れもしないカメと一緒にしないでくれよ」

 カメレオンは嫌そうに、大きな目をぐるりと回した。

「まあ、他に名前もないし、そう呼びたいならそうすればいい」

 意外と寛容なところもあるらしかったが、それでも本意ではなさそうなので、勝手に名前を付けるの は止すことにした。

「それじゃあ夜も遅いし、パンケーキを作りましょうか」

「ああ、昼だか夜だか知らんが、ホットケーキを頼むよ」

 私はホットケーキ・ミックスを取り出して、卵と牛乳を加えて掻き混ぜた。キッチンは部屋の中央に配置されていた。キッチン台はリング状に形づくられていて、その内側で料理をしていると、外側で黒っぽい砂浜をうろうろ歩き回るカメレオンと対面して会話に興じることができるのだった。砂の上で喋るカメレオンは、体表を黒っぽく変色させていた。

 熱したフライパンを濡れ布巾の上でジュッと言わせてから、とろりとした生地を流し込むと、生地は自然と円盤状の形に広がった。片面を焼く間にコンソメ・スープを用意しようと、まな板と包丁を取り出してキャベツを賽の目に切り揃えた。

「キャベツも好きだが、賽の目は好かんな」

 私の手元を見ながらカメレオンは言った。

「普段はキャベツをどうやって食べるんですか?」

 私はそう訊ねたが、内心、カメレオンは肉食のはずだが、植物性の食べ物をよく好むので意外だと思っていた。しかし他人の食物に関する嗜好について初対面で深入りするのは躊躇われた。

「直接齧ることも多いが、格式高い場面では千切って食べる」

「格式高い場面って、カメレオンの世界で?」

「僕がカメレオンだなんて誰が言った?」

 カメレオンはまた嫌そうな顔をした。しかし上から見ても下から見ても彼はカメレオンだった。

 そうこうしているうちに、ホットケーキが温かく香ばしい匂いを上げ始めた。

「そろそろ反転させた方がいい」

 カメレオンは言った。私がフライ返しで慎重に作業する様子を、彼は嬉しそうに眺めていた。数分後、円盤系のホットケーキは色よく焼き上がり、コンソメ・スープの賽の目キャベツには程よく火が通った。縄目の文様が付いたざらりとした器にそれらをよそった。カメレオンはホットケーキはよく食べたが、スープには殆ど手を付けなかった。仕方がないので私は鍋一杯のスープを胃袋に流し込んだ。胃袋の中で温い液体が重々しく渦巻くのが感覚された。

「お手洗いはどこかしら」

「あっちだよ」

 カメレオンが即座に答えたので、やはりこの部屋を変貌せしめたのは彼だろうと私は思った。カメレオンの示した先には、砂地にぽっかりと開いた穴があった。誰かが足を踏み外さないように、穴の周りにはとぎれとぎれに木柵が施されていた。

「お手洗いなのに個室じゃないの?」

 私は閉口して言った。

「だから、服なんか着るからだってば」

 カメレオンが何の同情も示さないので腹が立ったが、仕方がないのでキッチンからひと続きの砂地で私は用を足した。

 そこから予想出来たとおり、シャワーも同じ部屋の端に設置されていた。バイト先のイタリアン・レストランにたち込めるニンニクの匂いを髪の毛がたっぷり吸収していたので、私は念入りに髪を洗った。下方を見ると、私の跳ね散らかしたシャワーの雫を浴びて、カメレオンも一日の汚れを落としていた。そういえば彼は傘もささずに都会の汚い雨を浴びながら現れたことを私は思い出した。シャワーから上がると私はタオルで水滴を拭って、ショートパンツとTシャツを身に付けた。カメレオンは身体を震わせて水滴を落とし、そのまま悠々としていた。

 シャワーを浴び終わった頃には眠たくなっていたが、元の部屋にあった長方形のベッドとマットレスは姿を消していた。代わりに、虹色のハンモックが新たに天井から吊り下がっていた。

「ハンモックで眠って、床に落ちたりしないかしら」

 私は言った。 「ベッドから落ちる方がまだ有り得るね」

 カメレオンは答えた。私はその真偽を疑わしく思ったが、どちらにせよ床面は柔らかな砂地なので大丈夫だろうと考えた。

「それでは消灯しよう」

 カメレオンの声と同時に、視界が奪われた。部屋は暗闇の帳に完全に覆われた。

「まだハンモックに乗っていないのに」

 私は慌てて手探りでハンモックを探し、よじ登って、全身をそこに預けた。ハンモックのネットは身体の曲線に沿って弓なりにたわみ、後頭部から踵まで全く均等に分散して体重が支えられ、ハンモックは右へ左へと大きく揺れた。それはまるで中空を飛んでいるような、より正確には水中を泳いでいるような、奇妙な身体感覚だった。

「水中にいるのが奇妙だなんて、忘れっぽいにも程がある」

 カメレオンの声がして、私は下腹部に重みを感じた。

「そこにいるの?」

 私は尋ねた。

「さあね」

 カメレオンの声は言った。その声がどこから聞こえたのかよく分からなかった。

 ハンモックの揺れは収まることなく、大胆に動き続けているようだった。暗闇の中で目には何も見えず、手足は何にも触れなかったが、三半規管が揺れを感知していた。揺れはますます強くなり、そのうちハンモックは左右のみならず、縦横無尽に運動を始めた。下腹部に感じていた重みも、あるのかないのか分からなくなってきた。

「そこにいるの?」

 腹に重みがある気がしたときに腹に手をやってみたが、何にも触れなかった。逆に、重みを感じないときに手をやると、何か鱗みたいなものに触れた気もした。

「僕は居ると君が感ずれば君にとって僕は居る」

 カメレオンの声は歌うように言った。

「そのどちらなのかが分からない」

「そういうこともある」

 そのとき、ハンモックの紐が切れたかのように、急激な落下を感覚した。私は悲鳴を上げた。落ちても落ちても砂地に墜落することはなかった。しばらく恐怖したあと、突如、落下の感覚がなくなった。さりとて急激に落下停止した感覚もなかった。しかも、自分がうつぶせなのかあおむけなのか、どちらが上でどちらが下なのかすらも分からなくなってしまった。

「どうなってるの」

 私は夢中で尋ねた。拳を握りしめると、自分が手の平に汗をかいていることは分かった。

「ひと眠りすれば慣れる」

 その言葉に導かれて、私は逃げるように深い眠りに吸い込まれた。

 目が覚めたのは、目覚ましが鳴ったからでも、朝日を浴びたからでもなく、眠るに堪えざる殺気を感じたからだった。

 ハッと身体を起こすと、ハンモックがぐらりと揺れた。気を確かに持って砂地に降り立つと、半袖半ズボンからにょっきり覗いた自分の手足が極彩色のふわふわした毛並みに覆われていることに気が付いた。

 しかし今問題なのはこの殺気の源だった。それは極彩色の部屋を見渡すとすぐに分かった。カメレオンが一羽のニワトリを部屋の隅に追いつめて、今にも飛びかからんとしていた。殺気だったカメレオンの体表は白っぽい光を放っていた。

「一体何をやっているの!」

 私はまだ少し夢見心地のまま、思わず叫んだ。しかしカメレオンは私のことなど意にも介さなかった。ニワトリに逃げ場はなかった。カメレオンは慎重にニワトリとの距離を詰め、そして遂に飛びかかった。カメレオンは右の前脚に大きな丸石を握っていた。それを振りかぶり、ニワトリの頭を目がけて殴りつけた。ニワトリは昏倒し、カメレオンは満足げな溜め息を漏らした。

「一体何をやっているの」

 私はもう一度訊ねた。

「次の食事は鶏雑炊にしようと思ってね」

「それがあなたのやり方なのね」

「およそ全ての鶏肉は元々ニワトリなんだぞ」

 カメレオンは眉をひそめて言った。そして体色を元の極彩色に戻してから、ニワトリの羽を毟り、皮を剥き、前脚の爪で肉や臓物を切り分け、流しで血抜きをした。それから生の米粒を私に向かって見せながら、 「これは、あのニワトリが喰らっていた米粒の残りだ」  と注釈を加えた。昨晩はこの部屋でニワトリが生を営んでいたなんて気づかなかったが、今思えば少し獣臭かったかも知れない。

 雨雲は去ったのか、窓から太陽の光が降り注いで、室内の黒い砂地を温めていた。私はよく温まった部分を選んで腰を下ろした。しばらくすると暑く感じてきたのでTシャツやショートパンツを脱ぐと、やはり全身が様々な色の長く柔らかな毛で覆われていた。

 カメレオンは粛々と食事の準備を進めた。ニワトリの生前の食糧だった米粒と死んだニワトリを一緒くたにして煮込むと、旨そうな匂いが部屋いっぱいに充満した。最後に塩を加えると、素朴ながら味わい深い鶏雑炊が出来上がった。

 昨日と同じ器に雑炊をよそって私たちはゆっくりとそれを食べた。米は水をよく吸っており、すぐに胃は心地よく満たされた。太陽の光を吸った砂に腰を下ろし、色に溢れた部屋を見渡し、私は心から寛いだ。私は普段は比較的寡黙な方だが、いつになく饒舌になり、あることないことを止めどなく喋った。カメレオンは砂の上で黒くなって寝そべって、偶に相槌をうちながら、私の話を面白そうに聞いていた。

「XXXXX XXXXXXXXXX」

 突然、カメレオンの言葉が、理解不能な音声に変わった。

「えっ?」

 私は聞き返した。

「XXXXX XXXXXXXXX」

 カメレオンは同じような音声を繰り返した。私は不意打ちで聴覚を失ったように感じ、心細くなった。

「何語を喋っているの? カメレオンの言葉?」

「XXX XXX XXXXXX? XXX XXXXXXX!!」

 カメレオンは笑いながらまた何かを言った。私は困惑した。もしかしてカメレオンの音声ではなくて、私の聴覚がおかしいのだろうか? それとも私の言語野がおかしくなってしまったのだろうか?  カメレオンはなおも笑い続け、何かを喋りつづける。

「私の知らない言葉で喋らないで!」

 私は必死で言った。しかし、自分の言葉であるはずの音声が相手に理解されているのかも疑わしかった。カメレオンは一体どうして笑っているのだろうか? ぎょろりとした両目、のっぺりした鼻先をいくら見つめても、何も内心は読めない。一瞬前までは何も問題なく理解しあっていたはずなのに、今現前するのは完全に内部の不可知なる存在だった。相互に行き交う思念はそこにひとつもなかった。私の唇の淵を離れた音声は虚ろに空中を震わせて消えるだけだった。

 カメレオンは相変わらず笑っている。いつの間にか天井に重たげな雲が湧いている。間もなく雲は大粒の雨を降らせ始めた。雨は部屋中のあらゆる場所を濡らし、黒い砂の床には濁った細い川が流れ始めた。カメレオンの鱗は水滴を弾きとばしたが、私の毛並みは水に濡れてべったりと身体に纏わりついた。毛足が体積を減らすと、自分の身体は随分と痩せて小さく見えた。私は余りに心細くて涙を流したが、雨はすぐさま涙を洗い落とす。カメレオンはやはり、音声を発しながら呵々大笑している。

 部屋の中は暗雲が垂れ込めていたが、部屋の外からはまだ太陽の光が差していた。やがて太陽の光を受けて部屋の中の水滴は華やかな虹を映し出した。カメレオンは嘲笑うのを止めて、改まった表情で私に向き直った。

「虹の色は何色でしょう」

 カメレオンは真剣そのものに問うた。

 私はしばし考えたが、すぐに答えに気付いた。

「月に秋はあるかねぇ」

 すると、涙は止まり、雨は止み、虹は消え、私の毛並みは乾いてふさふさと波打った。カメレオンは祝福するように私に歩み寄り、私たちは握手を交わした。残ったのは永遠にこの部屋の中だけで過ごしたいという穏やかな欲求だけだったのに、空間はゆがみ始め、曲線はまっすぐに直り、色彩は白色に統一され、黒い砂地は固く平らになった。柔らかだった毛並みは皮膚の中に吸い込まれていった。

「もうこんな部屋に住める気がしないのに!」

 私は悲しみにくれた。不自然な四角四面に全ては回帰しつつあった。

「たとえ幾度眠っても慣れてはいけない」

 カメレオンは言った。

「あなたはこの部屋そのものだったのでしょう、いかないで」

「少なくとも君は僕を感知していた、僕は死んだりしない」

 そこは東京のワンルーム・マンションの白い部屋で、窓の外では秋雨が薄っすらと街に降り注いでいた。棚の中を確かめるとホットケーキ・ミックスは一袋残っていたが、牛乳はなかった。私は味気ないキャベツを齧って食べた。明日の朝にはまたイタリアン・レストランのバイトのシフトが入っている。白と黒の制服を乾かしておかなくてはならない。私はそこで一体何を感知するのだろう。

(了)

うたうゆびづくり/無色の国旗

1. うたうゆびづくり

どうしても、鍵盤に向かって半泣きになりながら日暮らし音楽を切り刻み再構築を続けるくらいの気迫が欲しいのである。それは能力に見合った音を卒なくうたいあげるような手すさびであってはならない。技巧を尽くして足の裏の腱が震えるような背伸びをして舞台に臨み、結局ゆびがもつれ掠れた音を滑らせながら体勢を立て直す瞬間を切望しているような緊迫が欲しい。

子どものころ何度も鳴らしたオルゴールの音楽は忘れてしまったが、機械仕掛けの女の子がバイオリンの弓を規則的に動かす様子だけは記憶している。彼女は決して誤らない。木綿の髪の毛は生気を欠いて鮮やかに紅い。初め、子どもは音楽が止まるたびにネジを巻く。しかしいつしか子どもは児童書に没頭し、アップライトピアノの上で彼女が弓を不格好に傾かせたまま息をひそめているのに気づかない。

この世界でこの言語を用いる人間はどうやら1億人かそこららしい。この事実に対して楽観的でいたければ、もし何かを解釈する最良の方法があるとしたらそれは翻訳であると認めればよい。日本語を翻訳できない人間はどうやら1億人かそこららしい。日本語の文章を見つめ、日本語への翻訳を執拗に試み、それがどうしても不可能だと気付いたとき、それは悲しくも勝利である。母国語によって限りなく隔てられている同胞たちはこの世界に一握りしかいないという孤独な朗報である。残りの数限りない人々は日本語を最良の方法で解釈できるのだという、それは喜ばしい知らせだ、しかし、本当に楽観的でいられるのだろうか……最良の方法はさして優れてはいない。

私の目の前で外国語をうたいつづける人間の顔が無数に駆け巡る、分かる言葉を歌ってくれと私は懇願する、すると背後から何か見知ったうたが聞こえる、私は弾かれたように後ろを振り向く、しかしいくら振り向いても見知った歌は背後からしか聞こえないのである。顔を見せてくれと私は絶叫する、目の前の異邦人の顔は無残な微笑みを見せながら数を増やし私に接近するが、それでも分からないうたは分からないのである。すると背後の顔が目の前に現れた、そして私に虚ろな顔でうたいかけた、それは見知ったうたであった、しかしその顔は木綿の赤毛のあの少女で、私は必死にその視線を逸らす、違うのだ、聞きたいうたはこれではない、背後から聞こえている、あれらのうたをうたう顔が見たい、どうか現れてくれ、しかし異邦人と少女たちは増殖を繰り返しながら私の視界を埋め尽くし、耳管は受け入れがたい合唱にはち切れんばかりで、ついに切実な願望は果たされない。

2. 無色の国旗

世界が蝕まれ続けていると知らせる情報を拙い外国語で受け入れながら、一方で空虚さから解放され得ない。目新しさに踊らされる空虚。世界がまさに人知れず(いや皆知っている、知らぬ振りだ)直面している矛盾に私が対峙することを世界は拒みはしないだろう(世界が何かなんて言えたものではないが長い目で見れば歓迎されるだろう)、だが私が敢えてそうする必要性は皆無だ。その困難の真新しさに目が眩んでいるのだ。国々の官僚たちは日夜集って協調あるいは勝利を求めて額を突き合わせている、結局のところそういった前線を見ることに躍起になっていたのだ、子どもの野次馬のように。新しき事態の語感にかぶれている。されど気付くべきだろう、こういった現在起こり続けている変革は何か特別な出来事に思えるが本当は構造的な変化の諸側面に過ぎない。構造的な変化、すなわちなるべくしてなる変化、何か今誰かの意志によって特別な偉業が成し遂げられようとしているわけでは決してないという事実! 起こりうる何かは全て何物の手にも依らずただ構造的に起こるのだという事実! 別に因果律を信奉するわけではないが他方で偉人が偉人たり偉業が偉業たるのはより大きな構造の手に大きく因っている。
 私は多少の誇りのある自らの学びが大きな構造を前に殆ど意味を為さないことを認めねばならない。私は自らの思考が他の誰によっても簡単に再現されうることを認めねばならない。私は確かにここで何かを学んでいるけれどもそれすらも構造の内部にあること、それもいくらでも代替の効く一部分として思考しているに過ぎぬことを認めねばならない。けれどもそう自認することは他ならぬ自身に対する救済だ。それを綴ることは安息だ。そのための思考と言葉は鋭くならなくてはならない。それを研ぎ澄ます訓練こそを私は希求している。

 

ロンドン、国際都市の真ん中で国際の虚像に振り回され続けているのは決して私だけではないだろう、道徳的で優秀で健やかな人間が一見して公正かつ平等に所狭しと蠢き、グリーンベルトに護られたビル群が世界中からカネを汲みだし送り出そうと目論み、正義に裏付けられた理想を叫ぶ言葉が相克する現実も理想の破れそれすらも上書きする都市――世界中が抗いようなく巻き込まれていく国際の矛盾を彫り込まれ刷り増し続けている。盲目な正義が塗り潰すのは正義の代償だけではない――正義に慣れ切ったがためにあらぬ場所に撒き散らかされた吐き気のするような色に気付きもしない。外部の人間は気付きうるかもしれない、正義の暴力の犠牲者だけではなく、その正義の罪を勇敢に背負う者も――しかしだからといって誰が指摘しようか? 化けの皮を剥がすことは誰の利益にもならず、追随するほど富と名声が手に入る構造で均衡しているのだ、そして均衡に巣食う蟲が世界に蔓延っているのだ、そして蟲の聖地がこの場所なのだ――重厚な歴史に師事する優等生ぶって世界中に笑顔を振り撒いている。それでも学生の間くらい疑ってかかり嫌悪を顕していいだろう、いずれはこの構造に飲み込まれようとも。むしろ手を貸してしまう道を選んだのかもしれない、だってそれが正しいように見えたのだ。手遅れなのだろう。でもせめて自覚的でありたいのだ。