光を忘れると両脚がぐんと伸びた

1.

光を忘れると両脚がぐんと伸びた。やじろべえのように夜を歩く。裸足が細い道の土を踏み、波紋のように虹色が現れて大地の色を変える。極彩色が仄々と光る。長い脛に光が照りかえる。新たな一歩がまた色を足す。頭は闇に飲まれている。筋の目立つ大きな裸足、分厚い爪のついた指先、地を握っては染め、握っては染める。
 

2.

凍てつく夜明けの欅を垣間見すると、太い枝に真っ白く重たい花の蕾がついている。幹と同じほどの径をした、ぎょっとするほど大きな蕾に惑乱する。誰が欅をたなびかせたのか考えると燃えるように額が熱くなる。曙光が祝福するように白い塊を照らす。枯れ枝が頼りなさげに浮かび上がる。あまりに切なくて呻き声をあげると、蕾はぱっとひらいて飛び立った。蕾は凛とした鶴だった。鶴が空の奥へと溶ける。気づけば頬を涙が伝っている。欅は恥じらうように身をくねらせている。
 

3.

何でもない空のまんなかあたり、何にもない地点から大粒の飴玉がころころと顕現する。ざらめをきらきらさせながらあちこちに跳ね返って、最後に口のなかにぽんと飛び込んでくる。濡れた頬をふくらして受け止めると、口のなかで刹那的に溶ける。甘さが神経を冒す。身体が空間に溶ける。飴玉に踊らされる。大粒たちに突き動かされて痙攣する。指先、足先、頸、憑かれたようなスイング。 ざらめの光が空を埋める。
 

灰色の三陸旅行で出会った愉快なひとたちについて

僕を忘れてくれるまで

足の赴くままに山道を歩いているとあっというまに日は傾いて、北国は日が暮れるのが早いな、と呑気に構えていると、いつのまにやらもう終バスの時刻が過ぎているのだった。弱ったなと思った矢先に、やたらとのろのろ走る乗用車が現れた。シルバーのカローラ。地元の人間ではないなと思った。ナンバープレートは隣町のものだから、十中八九レンタカーだ。
カローラは頼んでもいないのに路駐して、男女のカップルが仲良く降車した。年齢は三十そこらといったところか。小奇麗な身なりをしている。中流の上。二人はガードレールから身を乗り出して、なにかを眺めている。視線のさきになだらかな丘陵があって、その頂上にたしかに整ったかたちをした枯れ木のシルエットが浮いている。灰色の寒空を背景にすっくと立つ。美しいが、ただそれだけだ。
私はその樹木に興味があるふりをして、カップルに近づき、すみません、と声をかけた。
「バスを逃してしまって。もし市街地の方まで戻られるのなら――」
「ええ、乗っていかれて構いませんよ」
男は即座にそう答え、私は礼を言って、きちんと片付けられた後部座席に乗り込んだ。男が運転席に、女が助手席に乗り込み、不慣れな手つきで男はカーナビを操作する。そのあいだに女は私に話しかけた。
「大学生ですか?」
「ええ」
「このまま宿に戻られるんですか」
「ええ、そのつもりです」
話しているうちに車は発進し、山道を下り始めた。
「『遊園地』には行かれましたか?」
「ああ、いいえ、行ってません」
「『遊園地』は知ってるでしょう?」
「ええ、観光情報サイトに載っていた気がします」
「そうでしょう、いい場所だから」
「そうなんですか?」
「そうよ、知らないの?」
男女は顔を見合わせる。
「僕は東京出身なんだけど、『遊園地』に行くのをずっと楽しみにしてたんです。彼女はこっちが地元で、もう何度も行ったことがあるらしいんだけど」
「でも、あそこは何度行っても飽きないもの」
「そんなにいい場所なんですか」
「私たちはこれからそこに行くつもりなんだけど、あなたもいらっしゃらない?」
「そこからなら、確かもっと遅くまで街までのバスが出ていたと思うし」
「そうなんですか、では、ぜひ」
もとより目的のない旅だったので、誘いに乗ることにした。『遊園地』がどんな場所だったかいまいち思い出せなかったので、観光情報サイトをもう一度見てみようと思ったが、スマホは圏外だった。そうこうしているあいだに車はふっと横道に逸れて、気付いたときには広い駐車場に到着していた。こんな辺鄙な場所なのに駐車場は満車に近い状態で、停められてよかったねと男女は口々に言いあっていた。二人が絶賛するだけあって確かに人気があるように見受けられた。
礼を言って車を降りると、あなたも楽しんでね、と言うやいなや、二人は手を繋いで入場口へと駆けていってしまった。一体なにがそんなに楽しいのだろうかと思って、私も入場口まで両手をポケットに突っ込んで歩いていった。日は完全に暮れて、吐く息ばかり白かった。入場口の向こうの方には色とりどりの明かりが見えた。たぶんアトラクションがライトアップされているのだろう。
大人は千円、子供は五百円。料金を支払ってゲートをくぐると確かにそこは遊園地だったが、しかし少なくとも私がこれまで見たことのある中で最もみすぼらしい遊園地だった。観覧車もジェットコースターも、暗い中でもそれと分かるくらいぼろぼろに錆び付いていた。メリー・ゴー・ラウンドは調子っぱずれの音を鳴らしながらぎしぎしと回転し、ゴーカートの半分くらいはうんともすんとも言わないようだった。母親の田舎にある古代遺跡のような遊園地もここに比べれば遥かにまともだったように思う。それなのに老若男女が寿司詰めになって浮かれているのだった。あからさまに後から取り付けたのだと分かる電飾が安っぽく光って、ことさら妙に賑々しかった。
気味が悪いので引き返した。本当にここから出る終バスがあるのかどうか不安になった。寒さはますます厳しくなっているようだった。
不安な心持ちのまま駐車場を一周ぐるりと回ると、果たして駐車場の隅っこにバス停らしきものがあった。しかもそこに先客があったので私はやっと安堵した。
「市街地まで行くバスですか」
先に待っていた人に、私は訊ねた。それは随分と古風な身成をした男だった。ハットを目深にかぶり、ステッキをついている。暗いので顔立ちはわからない。ひどく寒そうで、襟を立てて顎をうずめ、マントを身体にきつく巻いている。
「そうですよ、次が最後の便です」
「間に合って良かった」
「もう間もなく来ますよ」
男の言った通り、バスはすぐにやってきて扉をひらいた。私は急いで乗り込んだが、男はその場を動かなかった。
「乗らないんですか?」
「乗れないのですよ、みんなが僕を忘れてくれるまで――」
彼の鼻の先で扉は閉まり、バスは発進した。背後を振り向くと遊園地はやはりきらきらと光りかがやいている。誰一人帰る気はないらしく、駐車場には車が増えるばかりだった。

あたし結婚したのよ

冷たい外気を逃れるように店内に入ると湯気がもうもうと立ち込めていた。油と味噌の匂いがする。細い板を張り付けたような狭いカウンター、その背後に押し込まれた小さなテーブル席。相席でよろしいですか、と割烹着を着た老女は私に尋ね、私の答えを待たないまま烏龍茶の入った湯呑をテーブルにガタンと乗せた。

相席の相手は若い女だった。私の向かいで丸い顔を火照らせ、昼間からジョッキで生ビールを飲んでいる。

「旅の人なの?」

と女は呂律の回らない口調で私に尋ねた。ええ、そうです、と軽くあしらい、ラーメン小盛り一つ、と店の奥に向かって出ない声を振り絞る。店は狭く、客は黙々とラーメンを食っているだけなので、幸い注文はすぐに通った。

「ねぇあたし結婚したのよ」
「はぁ、おめでとうございます」
「誰と結婚したのか当ててごらんなさい」
「はぁ?」

旅人だと今言ったばかりではないか。知りませんよ、となるたけ素気なく言い、女の背後にあるTVに関心があるふりをした。小さくて分厚い液晶TVが天気予報をやっている。このあたり全域で曇り時々雪、あたたかくしてお出かけください。天気予報なら出発する前からざっとネットで調べてある。

「ねぇあなたの知ってる人なのよ。当ててごらんなさい」

女は構わず続ける。そんなわけがあるかと思ったが、あまり邪険にできない。柔らかそうな女の左手に指輪がないことを認めたからかもしれない。しかし昨今、結婚指輪を常につけているほうがむしろ珍しいのではないか?

「随分酔っておいでのようですね」
「そうなのよ」
「良かったら私のお茶をどうぞ」
「要らないわ、酔いにきたんだもの」

女は焦点の合わない目を細めて愛嬌のある笑みを見せ、それから手元の餃子を続けざまに三つも食べた。

「餃子美味しいわよ、あなたも要る?」
「いいえ、結構」

言い合っているうちに自分のラーメンが来た。太麺の味噌ラーメン、そもそもこの店はいわゆるこの地方での名店だと言われているからやってきたのだったのを思い出す。ひとくち啜ると確かに旨いような気もするが、あまり料理に傾注できない。

「もし質問がむつかしいのならね、結婚相手の職業を当ててごらんなさい」
「変わった職業なんですか」
「ええとっても。これで易しくなったでしょう」
「別に……」

空になったジョッキを女が少し持ち上げると、割烹着の老女が素早く新しいビールと取りかえる。女はそれを飲んでますます顔を赤くし、あなた勘の悪い人ね、つまらないわ、とぶつぶつ文句を言った。

「ああ、本当つまらないわ」

女は言い捨てて、やにわに席を立ち、レジに千円札を叩きつけて去っていった。一瞬店内に冷たい風が入り、それから戸はぴしゃりと閉じられる。引き戸に嵌められたガラスがびりりと震える。

我に返って手元に視線を戻すと、いつのまにやら自分はラーメンをもう殆ど食べ終えていた。具材も味も覚えていない。厭な目に遭ったと内心舌打ちする。

「すみませんねぇ」

とジョッキと餃子の皿を片付けながら割烹着の老女が言った。

「あの子は、最近いっつもこんな調子で、どうしたものかってね」
「それで、彼女は誰と結婚したんです?」
「さぁ、よく分かりません」
「逃げられたんですか?」
「いや、確かに結婚はしてるんです」

そのとき思い出したように咳が出始めて、しばし咳きこんでいるあいだに、老女はテーブルを離れて仕事に戻ってしまった。粘っても仕方なさそうだったので、器の底で伸びた麺を烏龍茶で流し込み、会計を済ませて店を後にした。

 

あたしこんなやつらと同じ風呂になんて入れないわ

「こちらも駅の正面に到着しているのですが――」
おかしいですね、もう少し探してみますと言って電話を切った。宿泊先から送迎を頼んだのに、落ち合えないでいるのだった。宿泊先のオーナーは黒い上着を着ているのだと聞いていた。私の方は青いリュックサックを背負っていると伝えてあった。ごく小さな駅なので、互いに到着しているのに会えないというのは妙だった。
そのとき、駅の前であたりを見まわす、黒い上着の女と目が合った。
「**旅館の方でいらっしゃいますか」
彼女はしばしじっとこちらを見て、それから「ええ、お待たせして申し訳ございませんでした」と言った。小柄な初老の女で、こじゃれた感じに髪を結い、細くつり上がった目元がきりりと涼しい。私は名を名乗り、わざわざありがとうございます、と礼を言った。
「とんでもない。さあ参りましょう」
彼女は白い軽自動車をドアを開け、私は助手席に乗り込んだ。彼女はエンジンをかけると、意外なほど強くアクセルを踏んで車を急発進させた。
「山の方なんですか?」
事前に宿の場所をよく調べておかなかったので、私は訊ねた。
「ええ、山の方の一帯では温泉が出るんです」
到着したのは想像以上に古ぼけた温泉宿だったので度肝を抜かれた。それだのに「ブッキングドットコム8.5点」だとか「トリップアドバイザーリコメンド」とかいうステッカーが正面扉のガラスの隅っこに貼ってあるから笑ってしまう。「じゃらん」や「楽天」ならまだ納得がいくのだが、と半分本気で思った。腰が海老のように曲がって、まぶたがとろんと垂れた老人たちが、紺の浴衣を着てのそのそと歩き回っている。みんな揃って肌つやがよく、髪や髭も白くてふさふさしている。携えたプラスティックの籠には、シャンプーと石鹼と温泉タオル。
私とほとんど同時に到着したらしい若い男女も、怖々とあたりを見渡していた。糸目の男にまんまるの目をした女。男の方はやけに印象の薄い姿をしているが、女の方は等身大のバービー人形のようで、あの顔をつくるために彼女はいったい何を何層塗り重ねたのだろうと私は数えて楽しんだ。化粧下地、コンシーラ、ファンデーション、フェイスパウダー、チーク、フィエスシャドウ。
黒い上着を着ていた女はいつのまにやら古風な女中の姿になって、私や若い男女から大きな荷物をもぎ取るように奪い、浴衣とタオルを押し付けた。「お食事の前にお風呂をお楽しみください」と言って、三人をまとめて混浴風呂の暖簾の向こうに押しやった。
脱衣所はむっと湿気て、硫黄の匂いに満ちている。男だか女だか分からないような老人たちが、せっせと浴衣を脱いだり身体を拭いたりしている。
「……何なのよ」
カップルの女の方が無理に気取った声で言った。それでも声はなんだか震えている。
「あたしを誘っておいてこんなところに連れてくるなんて一体どういうつもりなのよ」
印象の薄い男は薄い笑顔で「まあまあ」と言った。
「まあまあじゃないわよ、大体どうしてこんなよぼよぼの年寄りたちと一緒に混浴風呂なんかに入らないといけないのよ。こんなの聞いてないわよ、高級旅館って言ったじゃないの」
「ここは伝統ある由緒正しい旅館だよ」
「嫌よあたしこんなやつらと同じ風呂になんて入れないわ」
すると脱衣所にいた老人たちが揃ってきっと顔をあげた。
「何見てるのよ」
彼女が強がったような声で言い放つと、それを皮切りに老人たちはわっと彼女に詰め寄って、一斉にハイヒールを取りあげ、毛皮のコートを剥がし、ワンピースを切り裂き、きらきらした下着を脱がし、それから誰かが風呂場の戸をさっと開けて、彼女を湯船に勢いよく放り込んだ。
バービー人形は弧を描いてちゃぷんと白い湯に沈む。いかにも効用のありそうな濁り湯が、四方八方にぴしゃぴしゃと散る。そういえばと思ってふと見渡すと、カップルの男の方はどこかに紛れてしまっている。
「ちょっと、あたし泳げないの知ってるでしょ、ねぇ、あんた――」
湯船で何を戯けたことをと思ったが、確かに彼女は必死で水面に顔を突き出しているのだった。どうやら相当深いらしい。彼女の頬からシェードが消え、チークが消え、薄桃色の粘液が顔面でどろどろ粘っていた。綺麗にカールされていた真黒な髪が、水と湿気を吸って沼にはびこる藻のようにふくらんだ。
老人たちは何事もなかったかのように、暴れる女をなんとなしに避けて、器用に立ち泳ぎをしながら深い湯に浮かんでいる。湯船は結構広かった。
「ねぇ、助けてよ、だれか――」
彼女がそう言ったときには、私ももう服を脱いで老人たちに紛れていた。私は立ち泳ぎができる。大嫌いだったスイミング・スクールで子どものときに仕込まれたのだ。ふと横をみると、印象の薄い糸目の男もそしらぬ顔をして立ち泳ぎしている。女の声がだんだん弱くなる。湯けむりが濃くなって視界が白く染まる。何もかもが白い、湯けむりも、濁り湯も、だれもかれもの髪の毛も。

読まれない文章は不完全だと主張したい

「言葉が世界を分節するならば、看板と標識の違いについて考えてみなくてはなりません」
 
あなたが寄越した手紙はこのように始まっていた。無地の便箋に、神経質そうな丸文字がびっしりと書き連ねてあった。
 
いかなる状況であなたからの手紙を読んでいるのかというと、実のところ、激しい火の手が迫っていて、どうやら助かりそうにもない。ヘッドホンをして音楽を聴いていたせいで、周囲が騒がしくなっていることに気が付かなかった。ここは高層マンションの中層階で、階下で発生した火災は上へと延焼を続けているらしい。玄関を扉を少し開けて廊下の左右を見渡してみると、ほとんどの扉は無造作に開かれっぱなしで、随分前に住民の多くは逃げおおせたのだろうと思った。炎に包まれるまでに何をすべきか考えてみたところで、とりたてて良い考えは思いつかなかった。仕方がないので、読み始めていた手紙の続きを読むことにした。
 
「というのも、先日、近所の書店で、英訳された『ノルウェイの森』が売っていたのでぱらぱらと捲ってみると、こう書いてありました――"You can't miss it. There's a big sign: 'Kobayashi Bookshop'. Come at noon. I'll have lunch ready." 書店を営む実家に緑がワタナベを誘うシーンです。そのあとワタナベは彼女の家に行って、手の込んだ昼食をご馳走されて、火事を眺めながらキスをします。そんなことはどうでもよくて、そう、"Kobayashi Bookshop"の"sign"ってなんだか変でしょう、まるで「小林書店はこちらです」って道案内の標識が立っているみたいで。それで原著にあたってみることにしました。幸運なことに、こちらの文学部の日本文学研究のちいさな図書室にはちゃんと原著が収められていて、見てみると、『いやでも分かるわよ。小林書店っていう大きな看板が出てるから。十二時くらいに来てくれる? ごはん用意してるから』と書いてあります。それで、自分が英語で『看板』と言いたいときに、適切な言葉が見つからないことを思い出しました。あるお店、例えば欧州初出店のラーメン屋を探してロンドンの街を歩いていて、『あ、お店の看板が見えたよ』と言いたいとき、signでは違うような気がするのです。もっとも、外国語を話していて言葉が見つからないことなんて、決して珍しいことではないのですが。ともあれ、signっていかにも標識のようで、看板に対してあてる訳語として違和感がありませんか。標識と看板は似て非なるものではないでしょうか。billboardは確かにある種の看板ではあれど、ラーメン屋の看板って、ロードサイドショップのばかでかいbillboardとは違うでしょう。」
 
冗長で呑気な手紙で、とても死に際に読むのに相応しいとは思えなかった。それでもあなたは数少ない心の許せる相手の一人だったし、あなたからの手紙を読んで死ぬのも悪くはないなと思った。
 
「英語と日本語の差異みたいな、言うまでもないことをわざわざとりあげて話をしているわけではありません。もしかしたら英語のネイティヴ・スピーカーにとってラーメン屋の看板をsignと呼ぶことにまったく違和感はないのかもしれないし、そうだとしても一向に構いません。問題にしたいのは、看板と標識の違いです。看板というのは『みられるもの』であって、標識というのは『しるされたもの』なのです。つまり、看板というのは見られることに重点が置かれていて、標識というのは何かが記されていることが強調されているのです。なにかそこに言葉があるとき、それはいつ言葉たりえるのでしょうか。それが記されたときなのか、見られたときなのか? 標識という言葉は、そしてもっといえば恐らくsignという言葉も、記しただけで言葉の役割は果たし終えたとでも言いたげな、ある種楽観的な物言いだと思います。けれども看板というのは、見られるまでは看板たりえない。言葉のコミュニケーティヴな側面をストイックにすくいとった言い方ですね。言葉を書く人はどの瞬間に言葉を欠き終えたことになるのでしょう。自分はどちらかというと、言葉は読まれたときに書き終えられたように思うので、読まれない文章は不完全だと主張したいです。これはある種の信条に過ぎないのですが。だから欧州の郵便事情を自分は憂慮しています。もしこの手紙を書いてあなたのところにまで届かなかったとしたら、せっかく書いた文章はほとんど役割を果たさないでしょう。それではお元気で」
 
部屋の空気は少しばかり煙臭くなってきていた。あまり時間がなさそうなので手短に返事を書くことにしたい。幸い切手は部屋の中にあるので、封筒にあなたの住所を記入して窓の外へ投げれば、親切な人があなたのもとへ届けてくれるかもしれない。
 
「前略、モンゴメリ赤毛のアンの第4巻の『アンの幸福』を読んだことがありますか? アンとその婚約者ギルバートの遠距離恋愛について書かれた物語で、ふたりは頻繁に手紙を交わします。そのときアンは、ギルバートへの最初の手紙で、"I have a scratchy pen and I can't write love-letters with a scratchy pen . . . or a sharp pen . . . or a stub pen. So you'll only get that kind of letter from me when I have exactly the right kind of pen."と書いて送ります。アンはちゃんとしたペンがないとラブレターを書かないのだそうです。他方で、エドガー・A・ポーは、『ブラックウッド風の記事の書き方』という本において、ブラックウッド氏に次のように言わせています――"I assume upon myself to say, that no individual, of however great genius, ever wrote with a good pen--understand me--a good article"と。良い文章を書くためには、良いペンを使ってはならない。これはさしあたり、自嘲をこめた皮肉であると理解して問題ないでしょう。」
 
気温が上がってきているし、ガスを吸ったのか頭が回らなくなってきた。
 
「つまり両者とも、読まれるということに対してとても敏感なのです。書かれるだけならば如何なるペンによって書かれようとも問題ないわけです。ペンにこだわるのは読み手を想定してこそです。自分はモンゴメリにもポーにも概ね同意します。つまりあなたの信条に概ね賛成します。だから、今自分がしかじかの理由であまり綺麗な字、ひいては綺麗な文章を書く余裕がないことを、先に謝っておきたい。それも、この手紙があなたによって『みられる』ことがなければどうでもいいことなのですが。草々」
ここまで書いてペンを置き、急いで封筒に宛名を書いて切手を貼り、赤ペンで「AIRMAIL」と書き込んで、窓の外へと投擲した。
 
 

愛すべきカメレオンに捧ぐ

言語や論理の限界を理性の限界と呼ぶつもりはないが、他方で身体にみなぎる理性が何か一貫した啓示を得たとも言い難い。いずれにせよ首尾一貫した所感を文章として記しえないので、断片的な備忘録を残したい。
  1. ヘレン・ケラーに捧げられたあの建物が14の色に塗り分けられ、音の反響で遊ぶような仕掛けが施されているのは、恐らくイメージの降りたち方と意識の問題に関係している。私たちが環境の中の場にイメージを降りたたせるときに反作用のように意識を成立させているのだとすれば、激しい色遣いは視覚を通じた意識の形成を強く促す。それゆえ極彩色の空間では、視覚を遮断された私たちは自分たちとヘレン・ケラーの違いをより顕著に感じるのではないか。私たちがアイマスクをつけて住宅を触りながら一周したとき、視覚がまさしくパルマコンであることに気付かされた筈である。恐らく視覚優位の知覚は認知を反倫理的な方向に歪めている。音についても似たような議論ができるにしても、視覚の過剰な優位に対して聴覚の地位は限定的である点が考慮されねばならない。ヘレン・ケラーが井戸の水とサリバン先生の喉の奥に片手をそれぞれ突っ込んでwaterと叫んだときと、私たちがコップの中を指さしてお水、お水、とさえずったときには、身体と認知の在り方に決定的な乖離が生じている。
  2. 曲がりなりにも再訪者であった点は強調するに余りある。初めて訪れたときほどの衝撃を抱き得なかったと憂えているのではない。あれは本質的に住宅なのだから、あの何枚にもわたるインストラクションに決して慣れえないような命令が幾つも記されていることは措いても、慣れるという身体的なプロセスは想定内であり、初見で感受する奇天烈さは居住手続きの第一段階に過ぎない。特殊な仕掛けを様々に備えたあの空間に身体が馴染んだとき一体何が起きているのか、身体的な経験と便宜的な思弁を通じて考察されるべきである。この問いは、この空間でネイティヴに生まれ育った人間について考えることに似ている。あらゆる感覚が恒常的に歪められている(何を基準に歪んでいるなどと言えるのだろう)場を這いまわり舐めまわし嗅ぎまわる赤子は、果たして直立二足歩行すら会得しようとするだろうか。
  3. 結局のところ天面反転とは何か、死なないとはどういうことか。死について的確に理解し本質的な生を獲得せよと、収斂的で限定的な生の在り方を提示するものではない。むしろ可能的世界のうちに想定されえない潜在的な真の生命へと私たちは解放されようとしている。死なないと決めることは線形的な時間のとらえ方を無意味にする。永遠の措定と死の拒絶は、潜在的には、時間軸の措定とライフタイムの画定と同じくらい当然の操作なのではないか。そしてそのようにして認知における時間性が打破されたとき、そこには瞬間的で永遠的な生命がたえず胎動する場がひらける筈である。しかしこういった机上の空論は無力であり、生身の身体の再建によって世界を認知が変革されるという手続きをとらなければ、実際に歴史的に積み上げられてきた概念枠組みを組み替えることはできない。なぜならば生命や意識は周囲の環境を身体的に知覚することを通じてのみ構築されるからである(けだし思弁的理性、自我、意識のようなものの発生について既存の学問すべての分野はあまりに無関心であった。それらの機能や特徴を調べる以上のことを成し遂げようと夢見たことすらあっただろうか)。こうして固結した知覚をゆるがすような手続きとして実験的に設計された建築は、しかしながら研究途上にある。おのずと潜在的な在り方へと滑りこんでゆくような身体を建設するための建築について、更なる研究と実践が必要とされている。注意すべきは、潜在性の研究は確かに人間存在の在り方を拡散させるが、しかしその本質をふやかすものではない。むしろ死を受容する反倫理的な世界を構築してきたことによってこれまで閉ざされてきた人間の本質を、柔らかな世界のもとですくいとることに焦点が置かれている。この研究は非常に人間中心的であり、誤解を恐れずに言えば、ゴキブリと人間のあいだに高慢にも本質的差異を見出そうとしている。
  4. 住宅とふたりぼっちでいることは心地よいが、自分の他にもう一人の訪問者があると、闖入者を恐れて逢引きするような不安に駆られる。誰と誰が逢瀬をしていて誰が闖入者であるのかは、その訪問者の性質による。そういう気配をわたしは便宜的にカメレオンと呼んでいるのかもしれない。住宅に多くの人がいるときはカメレオンは拡散する。知覚が降りていくことで私たちに宿る生命は、このようにあちこちに遍在して分身を生む。あの建築は生命体のモデルでもある。アラカワ的人間像は徹底的に複数的・集合的であり、一枚の閉じた皮膚の内側に一つの個としての人格を認めてきた歴史的な人間像とはほとんど共通点を持たないことは、常に留意されるべきである。
  5. 死なない人間にリプロダクションが不要であるなら、世界中のドラマをあまねく彩ってきた生死と性愛の問題は天命反転の場において意味を失うだろうか。個体としての一人称が消失した場所では愛情は共同的にしか醸成しえず、排他的契約としての恋愛の形態は存在しえない。それでも身体のメカニズムがそこにあるとき、性は欲望されるのか。イエスともノーとも言えるが、少なくとも性と愛を当然に結びつける前提は突き崩される。あの住宅は生活の基本的な動作のアフォードのしかたを捻るような仕掛けが凝らされているが、性的動作に関して何か示唆があるようには見えないし、実際にアラカワも問題意識を持っていなかったようである。古今東西のアーティストがテーマにする性の問題は、アラカワの諸作品においてむしろ意図的に排除されているようにすら見える。補足的ではあるが、例えば美しさも興味の対象でない。住宅は徹底して機能的であり、どんなにすぐれた写真家もよほどの偶然でない限り、美しい風景を住宅から切り取ることはできない。同様に、歴史的に十二音階が形づくってきた西洋由来の音楽に関しても善し悪しは問われ得ない。贔屓目に見れば、小説は高尚な文学でないからこそ親和性がある。言語しか用いない点で大きな限界はあれど、ドラマティックでないドラマの著述は断面図的な青写真にはなる。
  6. 真実を追究する手段は哲学だけでも科学だけでもない。アカデミズムはシステマティックで堅実な共同作業であり、パラダイムを変えるような先駆的な研究は必ずアカデミズムの異端あるいは外部にある。アートの殆どは真実の追究を目的としていないか、良くてもアカデミズムの成果にフリーライドしているだけだが、そのような怠惰なアートとはまったく異なる在り方において、アートは哲学や科学を凌駕したり突破口を提供したりできるようになるし、しかもそのスピードは出典を明らかにしながら堅実に積み上げる学問とは桁違いに速い。とりわけ歴史的に限定されてきた論理言語の記述不可能な奈落、身体性と意識の根源をさぐる領域において、恐らく既存の方法論に依ったアカデミズムに打つ手はない。死ぬ前に人間の真実を知りたいならば手段は限られている。
  7. 明け方に目が冴えたときに自分がどこに居るのか分からなくて感じる心細さは、果てのない絶望に帰結する。四角四面の白い場所にいる可能性を捨てきれない目覚めのときは、あの歪んだシェルターをひとたび離れてしまっては――あるいは離れずとも――自分が死から逃れえないことを雄弁に示している。実際のところ、本来私たちは死なないための都市を必要としており、仮にわたしがあの住宅に永住できたとしても死を避け得ないのは、恐らく集合的な自我の意識を変革することが不死の条件であるためである。眠りの淵から覚めるとき、無意識にまで刻み込まれた敗北主義的な個体の自意識が、その部屋が白くないことに戸惑っていた。道程が遠いことは明らかであり、天命に逆らわず生きて死ぬほど楽なことはない。しかしそれはあまりに人間らしくない生き方であるばかりでなく、やはり何と言ってもあのシェルターは捨て置くにはあまりに希望的である。極彩色のパンドラの箱の内にひとたび足を踏み入れたならば、とり残された希望を外まで連れだしてやりたいではないか。

まもなく生まれ落ちる、そして走り去ってゆく

 真白の小鹿。青いつたが、からむ。息をしていない。白い体はかたく、うごかない。つたは勢いよく腕をのばし、小鹿をからみとり、うめつくしていく。白がついえて青になる。影がおち、青が藍になる。森にけむが立ち、くすぶり、湿っぽい。黒い虫が羽音をたてて通りすぎる。虫は小鹿を見ている。複眼にうつる、いくえもの小鹿。黒い羽虫はたくさんいる。無数の複眼。無数の小鹿。遠くからいななきが空をさす。いななきは木霊してふえる。ふえて、けむと混じる。もう小鹿はいない。藍に満ちる森閑。

 竹林の狭間から小鹿が顔を出す。鹿らしい色あい。相変わらず、うごかない。けれども、うごきだしそうだった。空気は濡れている。空気からあぶれた水分がこぼれる。ひたひたと空間に満ちる。片方の瞳だけひらいている。瞳に人間がうつっている。……うきを。……てく、れ。うすく光が差して瞳孔がつづまる。……とに。……し……れ……。小鹿はゆっくりと視界をとざす。人間は消える。影が消えない。竹がにおう。くもりない緑にしずくがつく。

 憤怒の仮面。小鹿が首をかしげると、 からり、落ちる。寒々しい赤。太くゆがむ眉。からっぽの目元。前脚のひづめが仮面を踏む。壊れない。落ち葉のなかにしずむ。苔がゆるやかに這う。羽虫がやってきて、喰らう。朽ちていく。表情が変わる。歓喜。……とう。……りが……う……。死臭がたつ。つたがしたたかに根を下ろす。静かなる追悼。まもなく生まれ落ちる。そして走り去ってゆく。

フライトを逃すわけにはいかなかった

 異国の空港のターミナルを私は全力疾走していた。ところが走っても走っても前進しないのだった。今思えば、「動く歩道」を逆向きに走っていたのかもしれないし、或いは預け荷物返却所のベルトコンベヤを逆走していたのかもしれない。或いは突然地球とあらゆる創造物が自転をやめて、私だけが慣性の法則に従って逆向きの力を受け続けていたのかもしれない。それに私はここのところ運動不足でろくな脚力が無いのだった。それも相俟って、空港のターミナルに対して有意な割合で走ることができていないのかもしれなかった。私は太ももと脹脛と土踏まずにあらん限りの力を込めて動かしていても傍から見れば殆ど無意味な超スローモーションなのかもしれなかった。気管支のあたりがきりきり痛むほど早く深く呼吸をしてブドウ糖から動力を取り出していてもそれは確かに空港全体の熱量の動きからすれば誤差に過ぎないのかもしれなかった。
 しかし理屈はどうだって構わないのだ。ただ私はどうしてもそのフライトを逃すわけにはいかなかった。その異国にそれ以上滞在すると権力にも似た何かから厳しい制裁を受けることが確実であることが分かっていた。だから私は怯えていた。誰に罰されるのか、どうして罰されるのかは分からなかったが、何かに怯えている人は誰しも、自分が何に対して怯えているかなんてわからないのではないか? もし因果関係が明確ならば何も恐れることはないのではないか? それでも今日もあらゆる場所で様々な人が怯えているのは、私たちのちっぽけな脳みそに可能な理解の範疇を超えたことに世の中は満ちているからだ。私の恐怖の対象もそうした不明瞭な実体であった。いずれにせよ私はその場から逃れなければならなかった。この一回きりのフライトを逃してしまってはもう救いのないことが明らかだった。
 それなのにやはり私は前進できなかった。巨大なスーツケースを引っ張る右腕は千切れんばかりで、リュックサックは揺れるたびに肩の肉に食い込んだ。体はどうしようもなく発熱しこめかみの皮膚に米粒くらいの穴が開いたんじゃないかと思うほどの勢いで汗が滔々と流れだしていた。私は長年愛用してきたその傷だらけのスーツケースを手放した。私は振り返らなかったけれどもスーツケースはすごい勢いで私の後方へ滑っていって消えた。それからパスポートと航空券だけをジーパンのポケットに捻じ込んで、リュックサックも置き去りにした。そうするとやはりリュックサックは後方へと流れるように消えていった。私は太宰のメロスみたいにジャケットを脱ぎ捨てた。汗を吸い込んで重量を増していたジャケットは雫を散らしながらやはり後方へと舞って行った。
 いくら身軽になってもやはり前に進まないのだった。前方のデジタル時計の赤い文字は着実な時間の経過を明示していた。チェックイン時刻まであと5分。4分。リュックサックを捨てる前にペットボトルの水を飲んでおけばよかったと思ったが細かいことを悔いている場合ではなかった。このフライトを逃したときのことを考えると喉の渇きも身体の痛みも霞むほどだった。あと3分。2分。絶望を掻き消すようにして私は脚を動かし呼吸に努めた。
 時計があと1分を示したとき私は何かに足を取られて転げ、硬質な床に身体が投げ出された。これではとても間に合わないと私は唇を噛んだ。すると隣でひとりの人間が無表情に跪いて転げた私を見ているのだった。よく見知った顔だったので私は途端に安心してしまった。それは祖国の人間だった。その人物は表情を変えずに私を助け起こし、その袂から小さくて無害そうなナイフを取り出した。そうして自分の左手の人差し指と、私の右手の人差し指を、それぞれそのナイフで傷つけた。そしてその生の傷口を重ね合わせて固定した。私は何が起きているのかよく分からないまま、先ほどまでの不安が奇妙なまでに引いているのを感じていた。そのまま私たちは空港のフロアで蹲って指先を重ね合わせていた。言いようのない幸せに胸が満たされて私は動くことができなかった。
「もう十分な血液が供給された」
 とその人物は祖国の言葉で言って、指先を離し、白いハンカチで互いの傷口を拭い、それから立ち上がって、私を助け起こした。促されるままに私は歩いてゲートをくぐった。ゲートの向こうで少し蒼ざめたその人物が私に手を振っていた。その人物が飛行機に乗るつもりがないことに私は気が付いて肩を落とした。結局のところこの国を出たところであれから逃れられるかどうかは分からないのだと私は悟った。搭乗を促すアナウンスが鳴り、私はゆっくりと踵を返した。

ベレニス/Berenice

エドガー・アラン・ポーによるBerenice (on the Broadway Journal, 1845) を翻訳しました。
* * *
ベレニス
我が伴侶ら語りて曰く、最愛の者の墓の訪問は、汝の苦悩を幾らか慰めん、と (*1)
――Ebn Zaiat

 苦悩なるもの多様にして、大地の不幸は多彩である。開けた地平線を虹の如く超越して、その色彩はその弧の色彩と同じく様々である――同じく峻別可能だが、しかし本質的には混じりあっている。開けた地平線を虹の如く超越する! 何ゆえ私は美しさからある種の見目悪さを導いてきたのか? ――平和の盟約から悲しみの直喩を? しかれども、倫理学的に、悪が善の帰結であるように、故に、事実、喜びの中からこそ悲しみは生まれる。あるいは過ぎし至福の記憶は今日の苦悶であり、あるいは存在する痛苦は存在したかもしれない快楽に起因する。
 私の洗礼名はエガスだが、それを与えた我が家族について語るつもりはない。ただ先祖から引き継いだ薄暗く灰色の館が、この地において最も由緒正しい建造物であった。我らが血筋は幻視者の血統と呼ばれ、そして多くの顕著な点に――氏族の屋敷の特徴に――大広間のフレスコ画に――寝室のタペストリーに――兵器庫の壁面彫刻に――しかしより際立って、骨董絵画のギャラリーに――図書室の様式に――それから、蔵本の特異極まりない性質に、その信条を裏付けるに余りある証拠があった。
 私の若かりし頃の記憶はあの図書室とその書物に係累している――後者についてこれ以上は語るまい。私の母はまさにここで死亡し、ここにおいて私は誕生した。しかし私がそれ以前に生きていなかったと言うのは単に安逸である――その精神に前世なしと言うのは。諸君は否定されよう?――論争は止しておこう。自ずから確信せしかば説得は求めぬ。しかれども、空想的な形態の――霊的で意味ありげな瞳の――心地よく、しかし哀れなしらべの、排除し難き記憶が――曖昧で、多様で、無限で、不安定な影のごとき、私の理性の陽ざしが存在しうる間にも消し去り得ぬ影のごとき思い出が――存在するのである。
 その部屋において私は出生した。そうして、非実在に似て非なる長かりし夜から目覚めたと同時に、他でもないお伽の国の地へと――想像力の宮殿へと――禁欲的思索と博学の荒涼たる支配地へと、目覚めたのであるから――私が驚きに満ちた目を煌めかせて辺りを見まわし、本の中をあてどなく遊んで少年時代を逸し、青春を空想のために消散させたのは、決して奇妙なことではない。しかし、そうはいっても、時が過ぎ去った人生の壮年期においてもなお、私が父たちの屋敷に暮らしていたことは奇妙である――そこの如何なる淀みが我が人生の春に覆いかぶさったのか――私の日常的な思考の特徴が如何にして完全に反転してしまったのか――不可思議極まりない。世界の現実味は幻想として、幻想としてのみ私に作用し、そうして、夢の国の荒れ狂った思念は――私の日常的存在の構成物としてではなく――翻って、まさしく本当に、完全に単一にそれ自身によって存在するものに、変貌したのである。
 ベレニスと私は従兄妹同士で、我々は私の父方の屋敷で共に育った。しかし我々の育ち方は相異なっていた――私は不健康にして塞ぎの虫にとりつかれて――彼女は聡明にして優美、活力に溢れて――彼女の場所は丘陵の逍遥――私のは回廊の書斎――私は自分自身の心内に住まい、最も激しく痛ましい黙想に身も心も依存して――彼女はその行く道の影も知らず、何時間も飛翔しうるワタリガラスの無音の飛行をも知らず、人生を通じて奔放にそぞろ歩いて。ベレニス!——私は彼女の名を呼ぶ――ベレニス!——そしてその声によって、記憶の灰色の廃墟から激しい追憶が触発される! 嗚呼! 彼女のイメージは今や鮮明に私に現前する、彼女の持ち前の明朗さと喜びに満ちたあの日々と全く同様に! 嗚呼! 華麗なれど異様なる美貌! 嗚呼! アルンハイムの灌木に囲まれたシルフ!——嗚呼! 泉の中のナイアス!——それで――それで全ては怪奇と恐怖であり、語られざるべき物語である。病が――致命的な病が砂嵐のように彼女の身体に降り注ぎ、そして、私が彼女を見つめている間すら、変化の亡霊が彼女の上を通過していった、彼女の精神、習慣、性格に充満しながら、そして、最も巧妙で残酷な方法で彼女の容貌のアイデンティティを破壊しながら! 嗚呼! 破壊者は来たりて去りて、その犠牲者は――彼女はどこに居たのだ? 私が知っていたのは彼女ではなかった――あるいは私は、最早ベレニスたりえぬ彼女を知っているに過ぎなかった。
 その致命的で一次的な病は私の従妹の倫理的・肉体的存在に非常に残酷な種類の激変をもたらしたが、それよって併発する幾つもの症状のうち、本質的に最も悲惨で難治のものとして挙げられうるのは、一種のてんかんであり、それはかなりの頻度で昏睡状態に帰結した――明らかな絶命にほとんど完全に類似している昏睡で、大半の事例において、彼女がそれから回復する仕方は驚くほど唐突だった。一方で、私の固有の病は――というのもそれ以外の呼称ではそれを呼びえないらしいため――私の固有の病は急速に私を蝕み、最後には珍奇で突飛な形態の偏執狂的性質を帯び――絶え間なく刻一刻と勢いを増し――ついには私はそれにどういうわけか支配されることとなった。私の名付けるところのこの偏執狂は、形而上的科学の「注意深い」と名付けるところの精神の特質の、病的な過剰性に依っている。恐らく私の言うことは理解されないだろうが、確かに、残念ながら、単なる一般読者にこの見解を適切に伝えることはどうしても不可能であろう。この神経的な「関心の集中」によって、私の場合、幻想の能力が、この世の最もありふれた対象についての思索においてすらも、(厳密に言うまでもなく)猛烈に集中しまったのだ。
  一冊の本の片隅の印刷所紋章、あるいはタイポグラフィに注意を釘付けにして飽きることなく長時間黙考し、タペストリーや床の上に斜めに落ちた風変わりな影に夢中になって夏の日の大半を過ごし、ランプの静かな炎や炎の残り火を眺めて一晩中我を忘れ、丸一日花の香を夢見て過ごし、その言葉の発声が精神に全く何の意味も与えなくなるまでありふれた言葉を偏執的に頻繁に繰り返し、長く頑なに辛抱強い絶対的な身体の静止によって全ての動的で身体的な存在の感覚を喪失する――こういったことが、精神機能の状態によってもたらされる最も頻繁で最も無害な奇癖であり、全く類比不能ではないにせよ、分析や説明といったものを確かに受け付けない現象であった。
 しかし誤解なされないでほしい。――過剰で、熱烈で、病的な傾注は、このように本性的に取るに足らない対象によって掻き立てられるのだが、それは全人類に普遍的な沈思の性癖の特徴、とりわけ強い想像力を有する人々が甘受するそれと混一されてはならない。一見それらしく思われるかもしれないが、私のそれは、そのような性癖の極端な状態、あるいは誇大ですらなく、本来的・本質的に区別され異なっているのである。よくある場合においては、空想家や熱狂者は、大抵取るに足らなくはない対象によって興味を喚起され、それによってもたらされる推論や連想の激しさの中でこの対象への注視は失われ、多くの場合華やかさに満ちたこの白昼夢が終わるときまで、彼の熟考の誘引あるいは最初のきっかけは完全に消失し忘れ去られる。私の場合、その最初の対象は決まりきって取るに足らないのである、それでも、私の狂った想像を媒介として、屈折した非現実的重要性を呈するのだが。連想など殆ど無く、あったとしてもそれは執拗に元の対象をその中心に戻してしまう。その黙考が楽しかったことは一度たりともなく、空想の終わりにもなお、最初の対象は、注視されなくなるどころか、この病の最大の特徴たる超自然的で誇大的な興味の標的で有り続けている。つまるところ、精神の能力のうち、とりわけ機能する部分は、私の場合は前に述べたように〝傾注〟であり、空想家の場合は〝思弁〟なのである。
 私の蔵書は、この時期において、 私の病を直截に刺激することはなかったにせよ、概ね、それらの空想的でつまらない本性ゆえに、病の特徴的な性質に関与していたと言って良いだろう。とりわけ、名高いイタリア人Coelius Secundus Curioによる論文〝de Amplitudine Beari Regni Dei〟、St. Austinの傑作〝City of God〟、Tertullianの〝de Carne Christi〟を、私はすぐれて記憶している。Tertulianの「神の子は死んだ、不条理ゆえに確実に。葬られし子は蘇る、不可能ゆえに間違いなく(*2)」という逆説的な一文には、私の苦しく無為な思考が数週間にわたり絶え間なく費やされた。
 このように些細なものによってのみ均衡を崩される私の理性は、Ptolemy Hephestionによって語られた、海洋の岩山に類似しているように思われた。その岩山は、人間の暴力による攻撃にも、波風の荒々しい猛威にも微動だにせず抵抗するが、アスフォデルと呼ばれる花に触れることにのみ慄くのだった。思慮の浅い者ならば、ベレニスの不幸な病によって引き起こされた「倫理的」状態の変容が、私が苦戦しながらも説明してきた集中的で異常な瞑想の対象になるのは、疑いようもなく明らかな問題であると思われるかもしれないが、しかしそれは全くもって間違っている。確かに、私の弱点とは明瞭な隔たりを置きつつも、彼女の厄災は私にとって痛ましく、彼女の美しく穏やかな人生が完膚なきまでに破壊されたことを深刻に受け止め、そのような奇妙な変容がこんなにも突然に進行しているという超常性に関して私がしぱしば深く考え込むことがないわけではなかった。しかしながらこのような思考は、私の病の特異性に関与していたわけではなく、似たような状況下においては、人類一般の人々にも起こり得たことであろう。私の病は、それ自体の性質に即して、ベレニスの「身体的」外形に対する、重要ではないがより衝撃的な変容に対して反応したのであった――より奇怪でぞっとするような、彼女の外見的アイデンティティの歪曲に対して。 
 彼女が比類なく美しかった素晴らしき日々においては、間違いなく、私が彼女を愛したことは無かった。私の生活の奇妙な異常なのだが、私の感情が心からの感情であったことは一度もなく、私の情熱は常に理性からの情熱であった。 早朝の仄暗さの向こうで――午時の森の縞模様の影に紛れて――夜の図書室の静けさの中で――彼女は私の目の傍で動き回り、私は――生命と息吹のベレニスではなく、夢の中のベレニスとして――地上的な地上の存在ではなく、そのような存在の抽象として――可愛がるのではなく分析すべきものとして――愛の対象ではなく、難解でとりとめのない思索のテーマとして――彼女を見ていたのだ。そして今や――今や私は彼女の存在に身の毛がよだち、彼女が接近すれば血の気が引いた。それでも、彼女の凋落し蝕まれた姿がひどく悲しく、私は彼女が私を長く愛していたことを思い出し、そして、魔が差した瞬間、私は彼女に結婚を申し込んだ。
 そしていよいよ婚姻の時は近づき、その年の冬の午後――季節外れに暖かく、穏やかで、霞がかった、美しきハルシオンの癒しの日々に―― 私は図書室の奥の一角に座った(私が思うには、一人で座ったのだが)。しかし面を上げると、ベレニスが私の目前に立っているのだった。
  輪郭は揺れ動き不明瞭だった――私の昂奮した想像か――霞のかかった大気の影響か――部屋の頼りない薄明りか――彼女の身に纏ったくすんだ衣裳のせいか? 私には判らなかった。彼女は何も語らず、私は――私がどうして一音節たりとて発話せられよう? 凍るような寒気が私の全身を駆け、堪えがたき不安の感覚が私を圧迫し、身を焦がすような関心が私の精神を満たし、椅子に沈み込んだまま、私はしばし呼吸も動作も忘れ、彼女の体躯に目が釘付けになった。嗚呼! その衰弱は極まりなく、どの輪郭線も彼女の在りし肉体の面影を残さない。私の焼けつくような視線は遂に彼女の顔面へと達した。
 その額は高く、非常に蒼白で、奇妙に穏やかだった。そしてかつて漆黒だった髪が部分的に額にかかり、窪んだこめかみに 今やきつい黄色に変色した無数の巻き毛の影を投げかけ、巻き毛はその奇怪な性質で以って悲壮な面持ちの脇を揺れ動いていた。両目には生気がなく、輝きを失い、見たところ瞳孔を欠いていて、私は思わずガラスのような視線を避け、薄く萎縮して黙した唇へ退いた。唇は開き、そして奇妙に意味ありげな微笑みの中で、変わり果てたベレニスの歯がゆっくりと私の視界に露わになった。願わくは、神よ、その歯を目撃することさえなかったら! 或いは、目撃したが最後、我が命を絶やしてしまえれば!
 ドアの閉まる音に思索を妨げられ、顔を上げると、私の従妹が部屋を去っていることに気付いた。しかし私の脳内の無秩序な部屋からは、嗚呼、去ることなどない、振り切ることなどできないだろう、あの歯の白く恐ろしい残像を! 表面の染みでもない――エナメルの陰りでもない――縁の欠けでもない――しかし彼女が微笑んだあの短い時間は、何か私の記憶に烙印を押すのに十分だった。今やあの時よりも明瞭に私はそれを見ていた。あの歯――あの歯!――それはここにあった、そこにもあった、どこにでも、見るからに明白に私の眼前に。長く、細く、余りに白く、青白い唇がその周りで苦しんでいた、まさにその最初の恐ろしい発育の瞬間のように。そして偏執狂の完全なる激情が襲い来て、私は無力にその異常にして避けがたい影響を退けようともがいた。多様なる外界の対象物の中にあって、その歯を差し置いて私の意中に上るものは何もなかった。このためにこそ私は熱烈な欲求をもって切望した。その他すべての物事も異なる興味も、この単一の瞑想に同化した。それが――それだけが精神の眼に対して現前し、そしてそれが、その固有性のみにおいて、私の精神生活の真髄となった。私はあらゆる観点にそれを照らした。それに対してあらゆる態度を取った。その性質を精査した。その特徴に思索を巡らせた。その構造について熟考した。その性質の変化について黙想した。感知と感覚の能力や唇に依らない感情表現の能力を想像上のそれに付与して、私は身震いした。Mad'selle Salleに対して「彼女の全てのステップに感覚があった(*3)」とよく言われるが、ベレニスに対して私は心の底からこう言いたい、彼女の全ての歯は観念であったと。観念!(*4) 嗚呼、これぞ私を破滅させた馬鹿馬鹿しい考え! 観念!――嗚呼だからこそ私はそれをこれほど狂おしく切望するのだ! その歯を所有することによってのみ、初めて理性を取り戻し平静を回復することができるように感じられた。 
  そして夕闇が私に迫り――そして闇夜が訪れ、淀み、去り――そして夜が再び明け――二度目の夜の霞が今や辺りに停滞していた――そして私はなおその孤独な部屋で微動だにせず、なお瞑想に耽って立ち上がらず、なお歯の幻想はこの上なく明瞭で忌まわしい独特さを以ってどうしようもない優勢を保ち、変容する部屋の光と影の中を浮遊し回っていた。遂に私の夢想を蹴破ったのは、恐怖と狼狽に満ちた泣き声だった。そして暫くの沈黙の後、悲哀或いは痛苦の低い呻きと入り混じって、困惑した台詞の音がそれに続いた。椅子から立ち上がり、図書室の扉の一つを無造作に開くと、侍女が滂沱と涙を流して控えの間に立ち尽くしていた。彼女が言ったのだ、ベレニスは――遂に逝ったと。彼女は朝からてんかんに襲われ、そして夜の迫る今、墓穴はその住人のために用意され、埋葬の準備は全て整えられていた。
 私は自分が図書室に座っており、そしてまたしても一人で座っていることに気が付いた。どうも私は混然として刺激的な夢からたった今覚醒したようであった。現在は真夜中ではないことは分かっており、日が暮れて以来ベレニスが土の中に在ることも良く承知していた。しかしその間の恐ろしい時間に関して、明白なことを――少なくとも確実なことを何も覚えていなかった。しかしその記憶は恐怖に満ちていた――不確かであるためにより恐ろしい恐怖、曖昧さのためにより深刻な怖気に。それは我が人生の記録のおぞましき一頁であり、すべてがおぼろげで、ぞっとするような、理解しがたい追懐によって記されていた。私はそれを読み解こうとしてみたが徒労であった。時折、行き去りし音の亡霊のように、甲高く貫くような女性の金切り声が私の耳の中で鳴り響いているようだった。私は何か行動をしたのだ――それは何だったのか?私は声に出して自問し、部屋で木霊した囁きが私に答えた。「それは何だったのか?」
 私の傍らのテーブルではランプが燃え、その隣に小さな箱があった。それは目立った特徴を有しており、私は以前それを頻繁に目にしていた、というのもそれは我が家の掛かりつけ医の所有物であったからだ。しかし如何にしてそれはそこにあるのか、私のテーブルの上に、そして何故私はそれに関して身震いしているのだ? これらのことは説明されるべくもなく、私はある本の開かれたページに目を落とし、その中で下線を引かれた一文を辿った。詩人Ebn Zaiatの奇妙だが簡潔な一節だった。「我が伴侶ら語りて曰く、最愛の者の墓の訪問は、汝の苦悩を幾らか慰めん、と」。ではなぜ、この文章を熟読しながら、私の髪の毛は末端まで逆立ち、身体中の血液は血管の中で凍結しているのか?
 書斎の扉が軽く叩かれ、墓の中の死者の如く蒼ざめた下男が忍び足で入ってきた。彼の様相は恐怖で狂乱し、震え、掠れた、非常に低い声で彼は私に語りかけた。彼は何と言ったのだ?――聞こえたのは文の断片に過ぎなかった。彼は話した、夜の静けさを切り裂いた恐ろしい叫び声について――その音の源の探究について――そして彼の声音はいかにも恐怖して囁いた、暴かれた墓について――損じられた遺体について、それは死に装束に包まれながら、まだ呼吸があり、まだ脈があり、まだ生きていた!
 彼は私の着衣を指差した――それは泥に塗れ血糊が凝固していた。私は口を利けず、彼は丁重に私の手を取った――それには人間の爪痕が刻まれていた。彼は壁に立てかけられたある物体に私の注意を向けた――私はそれを数分間見つめた――それは踏み鍬だった。私は鋭く叫んでテーブルに飛び付き、その上の箱を掴んだ。しかしそれを開けることは能わなかった。それは私の震える掌から滑り出て、激しく落下し、ばらばらに砕け散った。そして、その中から、大音響とともに、歯科手術の器具が転がり出て、それに混じって、床中あちこちに散らばったのは、三十二の、小さくて白い、象牙のごとき物体であった。
(了)